「実際、このアルバムはマサルに捧げられてる」山口洋

撮影=山口洋2008年12月27日、「月の庭」にて。

―――ライヴアルバム『Live at Cafe Milton』インタビュー。収録曲の話、前回の続きです。
100曲以上あるはずのヒートウェイヴの楽曲の中でも、「灯り」はもっとも情景が浮かんでくる曲だと思います。
〈海を見渡す丘の上から〉主人公は〈凍える街を見下している〉という状況で、〈いったい幾つの憎しみを乗り越えたら僕と君は分かりあえるだろう〉という内省的な問いかけをする。これはこの曲が書かれた1991年から時を越えて、昨年の12月、ガザ空爆のニュースとオーバーラップしてもっとも心を揺さぶられたフレーズなんです。〈いったい幾つの憎しみを乗り越えたら僕と君は分かりあえるだろう〉と。
もうひとつ、この歌を聴くたびに思い出す「風景」があります。
村上春樹の小説『風の歌を聴け』に出てくるシーンです。ラジオDJに難病で入院中の女性からリクエストの手紙が届く。その難病の回復の可能性は〈新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりはむずかしい〉というもの(引用者注:1987年に中日に入団したばかりの高校出のルーキー、近藤投手が巨人相手に初登板でノーヒットノーランを達成した)。女性は病院の窓から港を眺めていることを手紙に書いています。受け取ったDJは港まで歩き、病院があるはずの山の方を眺める。〈山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。(中略)実にいろんな人がそれぞれに生きてきたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた〉という章です。
引用が長くなってしまいましたが、あらためてこの曲を書いた当時のエピソードを教えてください。
山口洋 あんまり歌を書いたシチュエーションについて説明するのは、いかがなものかと思う。
何故なら、それを受け取った人に、それぞれの風景が既にあると思うから。だから簡単に。
僕は当時のガールフレンドとうまくいってなかった。そしてテレビをつけると湾岸戦争でバーチャルに人が殺されていた。僕はどうしても、そのギャップを埋めることができなかった。だから、街を見下ろす小高い丘に登って、この曲を書いた。多分、このようなテーマは普遍なんだと思う。今も昔も、そしてこれからも。
スタジオでこの曲を録音しているとき、なんだか生々しすぎて、うまく表現しきれなかった。
だから、没にしようと思ってたら、絶妙なタイミングで友人が遊びにきて「没にすべきじゃない!」と言い張った。だから、生き残ったんだ。人生って不思議なものだよ。最近、ほとんど歌ってなかったんだけど、何故かその日(ライヴを収録した日)はそんな気分だったんだ。伝わるといいけど。
―――このアルバムで初収録となる新曲「Life goes on」。
この5曲目まで来て、「夜の果てへの旅」で〈夜の果てへと旅を続けていた〉ふたりも、「風の強い日」で〈道に迷いあてもなく彷徨っていた〉ふたりも、「灯り」で〈明日君が息絶えたらいったいどれだけの人が悲しむのだろう〉という君も(さらに次の曲「BORN TO DIE」の〈イーグルの羽根にどれだけ祈ったなら 俺たちは鳥になれるんだろうか?〉というフレーズも)、闘病を続けていた山口さんの親友、岡田マサルさんへの強い想いに満ちていたことがわかります。
ミルトンでのライヴの二日後、マサルさんは永眠しました。このアルバムを語るとき、「land of music」の地、カフェ・ミルトンでの録音作品ということと、もうひとつ岡田マサルさんへの想いを強く感じます。友部正人さんが、ゼッケンに「Run for MASARU!」と書いてニューヨークシティーマラソンを走ったように、このアルバムは「Sing for MASARU!」の記録であると。
山口洋 実際、このアルバムはマサルに捧げられてる。
あの男はね、何だろう。どんな状況でも、ただの一度も「人を憎むのを」僕は観た事がないんだ。そりゃ、どえらい喧嘩もいっぱいしたけどね。たいてい僕がギンギンに怒ってたんだけど。初めて会ったときから、死ぬまで、お互いの魂に深く入り込んでた。兄弟みたいだったよ。云うまでもなく、年齢と逆で俺が兄ね(笑)。
彼が病院から出られなくなってから、俺に出来ることは曲を書くことでしかなかった。
このアルバムが録音された12月7日。楽屋に友達から電話がかかってきたんだ。奴が危篤だって。
だから、会話したんだ。800キロの距離を隔てて。あれは何なんだろう、テレパシーなのか、何なのか、知らんけど。そしたら、奴は「俺のことはいいから、お前はお前の現場で闘え!」って云ったんだよ。
その想いを受け取って、歌ったのが「Life goes on」。この演奏は二度とできないと思う。
大切な友人がこの世から居なくなるのは寂しい。でも、月並みだけど、僕の心の中にはいつだって生きてるからね。
(インタビュー 続く)