2004年、細海魚インタビュー

以下のテキストは、2004年2月、東京地獄新聞第87号掲載の細海魚×堀田哲之対談より後半部分の抜粋です。
細海魚と、ヒートウェイヴのステージ上の機材ケアを任されている堀田氏とのこの対談の前半では、レコーディングにおける楽器ケーブルの重要性が細かく語られています。ここに掲載するのは後半、ヒートウェイヴの2004年のアルバム『LONG WAY FOR NOTHING』レコーディングについての一部。ここで、2011年の山口洋+細海魚『SPEECHLESS』につながる、ある方法がはじめて試されています。
堀田 ミックスの時は山口さんが自宅で一人でうんうん悩みながらやって、ダメだーってなったら魚さんに電話して。魚さんが(山口さんの家に)行く時もあれば、電話で済む場合もあって。
細海 おもしろかったのはね、ウチ、コンピュータつけっぱなしで、サーバーソフトをずっと立ち上げるのね。で、山口君がウチのコンピュータに直接ログインできて、そこにたとえば俺が作ったファイルを置いておくと、彼は家でダウンロードできるの。会わずにデータだけやりとりして作業を進めるということができて。俺は自分ではよくやるんですけど、それはおもしろかったな。
―――なんかアカデミック!
細海 ……アカデミックかなぁ(笑)。
堀田 あはは。あぁ、でもね、魚さんがいることでIQがアップしているかもしれない。そんなこと魚さんがいなかったら絶対やらないもんね。山口さんも俺もだけど音楽に関係ないものでコンピュータのソフトが充実したりしてきたのも、魚さんがいるからだったりするわけで。で、ヒロシがもうダメだってSOS送ってきたりするんだよね。
細海 そうそう。ファイルをやり取りするソフトにチャットの機能があって。俺が家で作業してると、わかるんです。ピコって音がして。2台コンピュータがあるんだけど、それで切り替えると、ヒロシが「魚ちゃん、もうダメだー」「どうしたの? どうしたの?」みたいな(笑)。
―――じゃあ、山口さんはチャットできるんだ!?
細海 できるよ、ぜんぜん。ブラインドタッチだもん。
堀田 かなり自己流だけど速い、速い。……でもレコーディングはいろんなやり方があるから、それをどう使うかっていうことですよね。昔はレコーディングっていったら、もうスタジオでしかできないようなことだったから。
細海 俺も音楽始めた頃は、ホントにスタジオに行くしかなかったけど。
堀田 誰も家でレコーディングできるなんて思ってなかったですよ。
細海 ファイルベースになって、どこまででも時間的に戻れるし、すごいよかったなぁと思った。そうやってやると、家で一人で長い時間作業できるじゃないですか。もちろんスタジオに行って、その場でコレっていうのを出さなきゃならない時もあるんだけど。俺はゆっくりと地味にやってく方が好きだから。だからファイルをもらってきて、家でこれでいいだろっていうところまで詰めて、持ってってまた合わせるという方が好きで。そういうことができるようになった時代というか……。
堀田 だから魚さんの音楽の制作スタイルに時代が追いついたんでしょ。
細海 んはは。ま、そういうことで。
―――池畑さんや圭一さんのスタイルって、ガーンと一発録りでええやん!みたいに思えるんですけど、イメージでは。それと相反することではない?
堀田 うーん…。必ずしもそうじゃないかもしれないけど、そういう人もいてこういう人もいて。だからいいんじゃないかな?
細海 うん、すべてをそのスタイルでやるっていうわけじゃないから。リズムとかはみんなでやるのがほとんどだし。ある瞬間しか来ないものだから。それがあった上で。
堀田 そうですね。4人で福岡のスタジオにいる時は、せーのってやってるわけだから、それとは使う脳みそが違う作業かもしれないですよね。
細海 うん。だからたとえばバンドでライヴやってる時は「うわぁぁアニキ、かっこいい、燃えるー」とか思うんだけど、この間、Postのイベントやったじゃないですか。あれは一人で、自分で「かっこいいー」って思ってやった(笑)。