ライヴアルバム『LIVE FOR SOMA CITY』を9月20日リリース


僕らはピンポイントで相馬を支援する
ヒートウェイヴが、パリのラグジュアリーブランドChole、アクセサリーブランド、knife *acoustic groove*と組んだ被災地支援プロジェクト「MY LIFE IS MY MESSAGE.」を立ち上げ、活動している。ロックバンドと、ファッション、アクセサリーブランドとの異色のタッグ。だが、その理念は非常にシンプルだ。「ピンポイントで、フレキシブルに」。彼らは、東日本大震災地震津波によって大きな被害を受けた福島県相馬市を支援している。
4月、現地相馬のニーズを訊き、まずはガイガーカウンターを、次に60台のラジカセを贈った。6月に東京渋谷でヒートウェイヴのライヴを行ない、そこで販売したプロジェクトのオリジナルグッズの売り上げすべてを相馬への支援金とした。仮設住宅で暮らす人たちに楽しんでもらうために、7月には相馬市で「美空ひばりフィルムコンサート」を開催し(炊き出しも提供)、そこでラジカセ100台と、ガイガーカウンター2台を贈呈した。
6月のヒートウェイヴ、渋谷ライヴの音源は、ライヴアルバム『LIVE FOR SOMA CITY』というタイトルで9月20日にリリースされ、アルバム1枚の売り上げにつき、500円が相馬への支援金となる。
「雨の後、路は輝き」で始まり、震災後に書かれた新曲「Alone Together」を初披露し、“東北から新しい風が吹いてくる”と歌った「新しい風」まで、11曲を収録。
このライヴを山口洋はこう語っている。〈あの日、僕らにはこういうコンセンサスがあった。「力を抜いて、スポンテニアスな演奏をすることによって、ミラクルを起こそう。それは他人同士が信じ合わなければ出来ないことだから」ってね。ところがどっこい。一曲目の池畑さんのフィルが鳴った瞬間、全員が戦闘態勢に入った。あはは、だから好きなんだよ、このバンド。全員が魂から全力で音を出していた。演奏は荒かったけど、そんなこと何の問題でもなかった。〉
9月20日には渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて、ライヴイベント「MY LIFE IS MY MESSAGE. Vol.3」が開催される。ヒートウェイヴの他、スペシャルゲストとして矢井田瞳おおはた雄一も出演。矢井田瞳は、このプロジェクトに賛同し、「MY LIFE IS MY MESSAGE.」オリジナルグッズであるアロマキャンドルをプロデュースしている(こちらも売り上げ全額が支援金となっている)。
「MY LIFE IS MY MESSAGE.」のドキュメント写真(渋谷、相馬)や、山口洋ら同プロジェクトのプロデューサー3人の座談会が収録された写真集も、9月20日、渋谷のイベント会場で来場者に配布される。
また、「MY LIFE IS MY MESSAGE.」オリジナルグッズは、イベント会場の他、東京・代官山のknife *acoustic groove*、セレクトショップURBAN RESEARCH各店、鹿児島のCIRCUSでも特設コーナーで展開されており、どの店舗で購入しても、売り上げ全額が相馬への支援金となる。
Chloe red presents
"MY LIFE IS MY MESSAGE" Vol.3
2011年9月20日(火) 渋谷・DUO Music Exchange
出演=HEATWAVE
スペシャルゲスト=矢井田瞳おおはた雄一

開場18:00 / 開演19:00
チケット料金=前売¥5,000 / 当日¥5,500 税込・ドリンク代別途¥500
チケット販売=よりチケットぴあ、ローソンチケット、SOGO TOKYO WEB SITE、イープラスで発売中
問=SOGO TOKYO 03-3405-9999
MY LIFE IS MY MESSAGE の OFFICIAL GOODS を会場にて発売します。
今回の公演におけるグッズ販売の収益は、東日本大震災の被災者・被災地の支援に役立てます。
HEATWAVE/LIVE FOR SOMA CITY
税込み価格¥3,500  ※このアルバム1枚につき500円が、「MY LIFE IS MY MESSAGE.」を通じ、福島県相馬市の復興の為に役立てられます。
2011年6月14日、渋谷・DUO Music Exchangeで行われたヒートウェイヴのライヴを収録した10曲入りCD。
収録曲 雨の後、路は輝く/PREYER ON THE HILL/I HAVE NO TIME/STILL BURNING/それでも世界は美しい/フールとクール/Starlight/Alone Together/荒野の風/ボヘミアン ブルー/新しい風
MY LIFE IS MY MESSAGE.特設サイト
http://mylifeismymessage.info/

”the Rising” INTERVIEWS index


2008年2月1日に発売されたヒートウェイヴのボックスセット『land of music "the Rising"』に関するメンバー、クリエイター達のインタビューを紹介する当サイトのindexです。また、「land of music」=音楽のある場所を目指している人たち、さらに延長戦は続き、ヒートウェイヴ関連のさまざまなインタビューを掲載していきます。
『the Rising』は、オンラインショップ「Artist-Direct Shop 405」や、直接契約店、そしてヒートウェイヴ、山口洋のライヴ会場でお求めいただけます。


第1回 山口洋 インタビュー 1
「想定外の事が積み重なって、関わった人間どもの想いが凝縮されて、この形に結実したのさ」

第2回 渡辺太朗(アートディレクター) インタビュー
「『リアリティとファンタジー』が僕のテーマでした」

第3回 宮崎幸司(ライヴDVD監督) インタビュー
ヒートウェイヴの曲、演奏、うたにある大きな意味でのダイナミクスを、音楽/映像作品としても実現できた」

第4回 山口洋 インタビュー 2
「自力で街に入って、いろんな風景に出会い、人に出会い、音楽を通じて、人と交流するのはミュージシャンの原点だと、俺は思うよ」

第5回 越智望(ドキュメンタリーDVD撮影) インタビュー
『これを撮らなきゃ何を撮るんだ』って。そんな風に思うことってあまりないし、思ったら絶対撮らなきゃいけないと思う」

第6回 渡辺圭一 インタビュー
「バンドでジャムってる感覚で作業した。どこに着地するか誰にもわからないワクワク感が好きだし、そういう風に仕上がったと思ってる」

第7回 速報『land of music "the Rising"』納品!

第8回 山口洋インタビュー 3
「(『made in Aso』は)『歌いたいとき』に『歌いたい歌』を歌ったんだ。何も考えず。何の制約も受けず」

第9回 細海魚インタビュー
「プロジェクト全体から感じた何かにみんなが反応して、誰が言い出すともなくもっと高い到達点があるんじゃないかという気運に支配された結果という感じです」

第10回 1/20からのツアー4会場で『land of music "the Rising"』先行発売

第11回 山口洋インタビュー4
「あれだけの旅をしたから、知らなかったいろんな情景が頭の中にインプットされてる。それがライヴって場所で、どう湧いて出てくるのか、俺も愉しみにしてるんだ」

第12回 杉山敦・下山ワタル(ダイアリー本編集・デザイン)インタビュー
「CDや演奏などの形で市場に並ぶ音楽は、表現者にとってりりしい顔をしたひとつの結果にすぎません。が、本当はその背後に潜む、汗と笑いと涙の詰まったプロセスこそが面白かったりするんですよね」

第13回 山口洋×渡辺太朗(アートディレクター)インタビュー
「インディペンダントだから『出来ない』んじゃなくて『出来る』ことをやり切ろうと。いや、やってみせよう、と」

第14回 山口洋×ボンバー石井(広島音楽道楽人)インタビュー
「全国各地にこういう連中が居てくれるってのは財産だと思ってるし、俺たちゃ、仲良しクラブじゃないんだから、ライヴで燃えなきゃ、ステージに立つ資格なしだね」

第15回 山口洋×米倉浩志郎+岡崎彩子(九州・コンサート・イベンター)
「『尽くさないイベンター』といつもなじられておりますが、先日の福岡ライヴのように、すごく心を揺さぶるライヴを見せられたり、『the Rising』のように、魂のこもった素晴らしい内容のボックスを目の当たりにすると、何を言われても我慢できてしまいます(笑)」

第16回 宮崎幸司(ライヴDVD監督)インタビュー2
「私も大きな画面とでかい音で観て、聴いてみたいですね。それだけのポテンシャルがあると思うので。『Seaching for ”land of music”』と二本立てで……なんて実現したら素晴らしいですね」

第17回 「PRAYER ON THE HILL」ライヴ映像、YouTubeにて無料配信

第18回 渡辺圭一+越智望(ドキュメンタリーDVD担当)インタビュー2
「経験なんでしょうかね、だんだん無駄な成分が削ぎ落とされてきます。その一度膨らんでシェイプされた姿こそ進化だと思うんすよね。ボクらはそれぞれの経験値と少しシェイプされた形で音楽に携われてる」

第19回 渡辺加奈子インタビュー(「Artist-Direct Shop 405」)
「このオンライン・セレクトショップがオープンしてからは、ヒートウェイヴの色々な作品を取り扱わせていただくにあたり、山口さんとああだこうだと試行錯誤で展開を決めていった感覚があります」

第20回 山口洋&リクオのツアーでも『the Rising』販売

第21回 山口洋×野田隆司(沖縄・ハーベストファーム)インタビュー
「ある種の意思を持った人たちは、時間をかけて、いつか『必然的に』出会って、なおかつ有機的に繋がっていくんだってことを、身をもって学んだんだ」

第22回 リクオ インタビュー
「彼(山口洋)とのセッションは、歌ものにしては決めごとが少なくて、すごく自由度が高い。緊張と開放のダイナミズム、振り幅の広さも魅力やね」

第23回 山口洋&リクオ インタビュー
「2度と同じステージにはならない、さまざまな要素との共鳴によって成り立っているライヴであることを確認してもらう上でも、(東京吉祥寺では)2日間やることの意味があるし、余裕のある人は2日間来てくれたら対比が面白いと思うよ」

第24回 山口洋×酒井夫妻(MUSIC CAFE 「SO-SO」店主) インタビュー
「みんなの日常が交わって、集まったひとつの会場で魂が触れ合うかのような時間を紡ぎ出す光景は、本当に素晴らしいんですよね」

第25回 山口洋×友部正人 インタビュー
「友部さんを始めとする、先達が切り拓いてくれた道があったからこそ、僕らの世代の活動が比較的容易に成り立ってるんだと思っています」

第26回 山口洋、ソロツアー「on the road, again vol.4」を語る
「この時代をあちこちから眺めて、風のような短編がたくさん書けないかって夢想してる。それをバンドに持ち帰って、新しい作品を作りたいねぇ」

第27回 山口洋、旅立ち前に2008年夏を語る
山口洋、脱皮しました。これからは新しい歌を書きながらの旅になると思います」

第28回 「on the road, again vol.4」高岡ライヴ主催・渡辺泰インタビュー
「僕らが毎日生活している場所って、駅前とかそういう場所じゃなく、こんな田んぼの真ん中とか畑のそばとかそんな何もない場所なんですよね。だから、そういう生活の普通の場所に『音楽』が届けられる、それを実現したかった」

第29回 デザイナー 渡辺太朗×下山ワタル インタビュー
「『the Rising』のデザインは、ヒートウェイヴというバンドが持つ『熱さ』とは違った位相を持つ、独特のクールなスタンスに貫かれていると思います。黒い芝生の奥底で魂が熱く焦げているみたいな」

第30回 Island of Shonan 山口洋×河原崎禎紀 インタビュー
潮騒ってのはリズムで、永遠の音楽。都会と海辺と山の中。それらを行き来してる俺は幸福だと思う」

第31回 land of vegetable panの森(函館)×カフェミルトン(白石)×山口洋 インタビュー
「音楽が金にしか見えない人間たちを繋いでいこうとはツユ思わないけど、魂入れて、モノ作ってる人間を旅ガラスが『繋ぐ』のはそりゃ『役目』だろうと思う」

第32回 山口洋×リクオ インタビュー 2008年12月九州ツアー決定!
「洋とのステージは緊張感と開放感、シリアスとアホの振り幅の広さが魅力の一つやね。同じ曲でも日によって、相当に違う演奏になるのも面白い」

第33回 山口洋×カフェミルトン インタビュー 「milton again 2days」決定!
「いつの頃からか音楽は空気のようなものであり、生活に必要不可欠なものになっていました。それで生涯、音楽を道づれに暮らせたらどんなに幸せだろうかと常々考えておりまして、その答えが1995年、店という形になったわけであります」

第34回 山口洋×宮本弘二(NO FEAR/NO MONEY企画)インタビュー
「もともと山口さんのDJによる『不滅の地獄アワー』というラジオ番組が大好きだったんです。この番組のおかげでたくさんの音楽を教えてもらって、僕らのミュージック・ライフはものすごく充実したものになったんですね」

第35回 山口洋「on the road, again vol.4」完走直後インタビュー
「完走した実感なんて、まるでなし。体力的にはしんどい部分もたくさんあったけど、市井に生きる人たちから本当にたくさんのものをもらったんだ」

第36回 地獄ぺーこインタビュー
ヒートウェイヴは、常に前を向いて新しいことにチャレンジしていくので、スタッフとしてはいつも多くの試練と共に沢山の楽しみがあるのですが、数々の仕事の中でもこのプロジェクトは本当に大きな出来事だったと思います」

第37回 山口洋インタビュー Milton again 歌いたくなったから
「音楽の奇蹟は『正しい時に』、『正しい場所』で起こるもんなんだよ。それは偶然じゃなくて、必然なんだ」

第38回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #1
「カフェ・ミルトンのある白石はね、蔵王の隣町なんだ。熱心なファンなら知ってると思うけど、蔵王の廃校になった小学校で、僕らは昔レコーディングをしてた。あのエリアには何かがあるんだよ。僕の心を打つものが」 

第39回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #2
「ミルトンは貨車で出来てる。貨車は音楽の響きのために作られてはいない。おまけに建物自体もシンメトリックな作りではない。そこにパツンパツンにお客さんが入ってる。しじゅう、薪ストーブがパチパチ音を立ててる。でも、だよ。いい音ってものに具体的な基準はないんだ」 

第40回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #3
「特設サイトでレビューを書いてくれた長谷川さんが『このライヴ盤には温かさがある』みたいな事を書いてくれたんだけど、実のところ僕にはあまりその感覚はない。ある種の緊張感というか、キリリとした空気というか、それがこの時代に向き合うのには必要なんじゃないかって思ってる」 

第41回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #4
「実際、このアルバムはマサルに捧げられてる」 

第42回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #5
「この国には多様性があるってことを、僕は伝えたい。みんな同じなんかじゃないし、同じになる必要はないし、同じ恐怖に震えることもない」

第43回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #6
「な、訳で、明日のスターパインズ・カフェでは皆さんに手に取ってもらうことができます。めでたい日なので、シリアルナンバーも書きます」

第44回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #7
「聞こえてたよ。本当にたっくさんのオーディエンスが来てくれて、嬉しかった」

第45回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #8
オンラインショップでの発売開始前夜!

第46回 mood.films ARABAKIインタビュー
「すごいなーと思ったのは池畑さんの体力ですね。開演前も終演後も誰よりも元気でパワフル。帰りも池畑さんは一人別便で、夜には東京でライヴだったそうで、ほんとすごいです」

第47回 山口洋×三保航太「光と闇の中で」
「先日の代官山のライヴを観て思ったんだけど、“life goes on”というフレーズに続いて、もし日本語でもう一声叫ぶなら“俺たちに未来はある”なんです。決して“ノー・フューチャー”ではない」

第48回 中野貴インタビュー「それぞれの空を飛ぶ為に」
「気に入らないと言われればボツにして潰すつもりでした。やはり羽根は山口洋ありきなので。その位の覚悟でやってます」

第49回 「元・丁稚」藤井和夫インタビュー
「(2001年、大阪バナナホール)雨が止むまで待つ時間もない。スタッフみんなで、『よし!』と気合いを入れて、なるべく機材を濡らさないように運んで車に積み込みました。みんな、ずぶ濡れで、シャワーも浴びず、そのまま名古屋に向かったのですが、その時の『みんなでやった感』が、今でも心に残っています」

第50回 リクオ インタビュー「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL」
「日本各地をまわって、ローカル色の大切さを教えてもらったから、今度は自分が暮らす街で、ローカル発信のイベントを作ってみたい」

第51回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 01
「その時、心の中で声を聞いたんだよ。悪魔の声。『お前はバンドをやれ』って」

第52回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 02
「当時、有名になるにはコンテストに出るしかなかった。そこでいろんな賞をもらうようになって、最前列にいつも目立つデカい客が居たのね。それが渡辺圭一」

第53回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 03
「レコーディングの方法や、プレス、宣伝、流通に至るまで、ゼロから学んでいったんだ」

第54回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 04
「実はデビュー当時のひっどいPV、あるんだけど。それだけは流さないでくれって懇願したよ。だって、演技は出来ない、歌ってるフリもできない。音楽をやるしか能がない。そんなバンドだったからね」

第55回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 05
「『自由』を求めて、音楽をやってきたのに、プロになった瞬間にものすごい違和感があったんだ」

第56回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 06
「オレと圭一はルー・リードの『legendary heart』みたいな作品を作りたかった」

第57回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 07
「で、決断した。今回はオレの頭の中にある景色を伝えることを優先しようって。オレはほぼすべての楽器を演奏した。辛い経験だったよ」

第58回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 08
「人は永遠にやり直しながら生きていくんだと思うよ」

第59回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 09
「何もなかったところから、楽曲の力だけで、人が繋がっていくのを見ているのは痛快だったよ」

第60回 HEATWAVE結成30周年記念 インタビュー 10
「緊張感、高揚感、エトセトラ。音楽の奇蹟を感じたよ。本当に嬉しかった」

2004年、細海魚インタビュー

以下のテキストは、2004年2月、東京地獄新聞第87号掲載の細海魚×堀田哲之対談より後半部分の抜粋です。
細海魚と、ヒートウェイヴのステージ上の機材ケアを任されている堀田氏とのこの対談の前半では、レコーディングにおける楽器ケーブルの重要性が細かく語られています。ここに掲載するのは後半、ヒートウェイヴの2004年のアルバム『LONG WAY FOR NOTHING』レコーディングについての一部。ここで、2011年の山口洋+細海魚『SPEECHLESS』につながる、ある方法がはじめて試されています。
堀田 ミックスの時は山口さんが自宅で一人でうんうん悩みながらやって、ダメだーってなったら魚さんに電話して。魚さんが(山口さんの家に)行く時もあれば、電話で済む場合もあって。
細海 おもしろかったのはね、ウチ、コンピュータつけっぱなしで、サーバーソフトをずっと立ち上げるのね。で、山口君がウチのコンピュータに直接ログインできて、そこにたとえば俺が作ったファイルを置いておくと、彼は家でダウンロードできるの。会わずにデータだけやりとりして作業を進めるということができて。俺は自分ではよくやるんですけど、それはおもしろかったな。
―――なんかアカデミック!
細海 ……アカデミックかなぁ(笑)。
堀田 あはは。あぁ、でもね、魚さんがいることでIQがアップしているかもしれない。そんなこと魚さんがいなかったら絶対やらないもんね。山口さんも俺もだけど音楽に関係ないものでコンピュータのソフトが充実したりしてきたのも、魚さんがいるからだったりするわけで。で、ヒロシがもうダメだってSOS送ってきたりするんだよね。
細海 そうそう。ファイルをやり取りするソフトにチャットの機能があって。俺が家で作業してると、わかるんです。ピコって音がして。2台コンピュータがあるんだけど、それで切り替えると、ヒロシが「魚ちゃん、もうダメだー」「どうしたの? どうしたの?」みたいな(笑)。
―――じゃあ、山口さんはチャットできるんだ!?
細海 できるよ、ぜんぜん。ブラインドタッチだもん。
堀田 かなり自己流だけど速い、速い。……でもレコーディングはいろんなやり方があるから、それをどう使うかっていうことですよね。昔はレコーディングっていったら、もうスタジオでしかできないようなことだったから。
細海 俺も音楽始めた頃は、ホントにスタジオに行くしかなかったけど。
堀田 誰も家でレコーディングできるなんて思ってなかったですよ。
細海 ファイルベースになって、どこまででも時間的に戻れるし、すごいよかったなぁと思った。そうやってやると、家で一人で長い時間作業できるじゃないですか。もちろんスタジオに行って、その場でコレっていうのを出さなきゃならない時もあるんだけど。俺はゆっくりと地味にやってく方が好きだから。だからファイルをもらってきて、家でこれでいいだろっていうところまで詰めて、持ってってまた合わせるという方が好きで。そういうことができるようになった時代というか……。
堀田 だから魚さんの音楽の制作スタイルに時代が追いついたんでしょ。
細海 んはは。ま、そういうことで。
―――池畑さんや圭一さんのスタイルって、ガーンと一発録りでええやん!みたいに思えるんですけど、イメージでは。それと相反することではない?
堀田 うーん…。必ずしもそうじゃないかもしれないけど、そういう人もいてこういう人もいて。だからいいんじゃないかな?
細海 うん、すべてをそのスタイルでやるっていうわけじゃないから。リズムとかはみんなでやるのがほとんどだし。ある瞬間しか来ないものだから。それがあった上で。
堀田 そうですね。4人で福岡のスタジオにいる時は、せーのってやってるわけだから、それとは使う脳みそが違う作業かもしれないですよね。
細海 うん。だからたとえばバンドでライヴやってる時は「うわぁぁアニキ、かっこいい、燃えるー」とか思うんだけど、この間、Postのイベントやったじゃないですか。あれは一人で、自分で「かっこいいー」って思ってやった(笑)。

2002年、栃木祭り 1/2

2002年5月発行の「東京地獄新聞」第77号から、2002年4月に行なわれた、「栃木祭り」ツアーレポートを転載します。
「栃木祭り」随行日記
随行丁稚=藤井和夫
「神」と呼ばれる男、栃木孝夫と、その御輿をかつぐ山口洋山川浩正、渡辺圭一による聖歌隊ツアー「栃木祭り」。各地で抱腹絶頂の祝祭を繰り広げた、この狂い咲き桜前線武装なき十字軍に随行した使徒、藤井による、たった2ページの紙面に押し込んだ6000字の祝詞をどうぞお読みください。……はっきりいって文字が多すぎて写真のスペース少ないです。アーメン。
4月13日(土)東京→岡山
「栃木祭り」前夜祭
 いよいよ始まるのである。「男祭り(=ヤポネシアン)」では、断じてないっ! 「栃木祭り」なのである!
 今回のツアーに使用する機材をコースターバスに積むために集合場所へ向かうと、なんと! バスが新しくなっている! 期待をふくらませてバスに乗り込むと、ビデオ付きテレビに足を快適に伸ばせるシート、さらにその座席が独立している!
 いつもお世話になっている運転手の後藤さんの指示に従って、機材が美しく収納されてゆく。車内は全員、男だ。毎回、この移動中に何をするかが、大問題なのである。だが、初日はスタッフだけなので、一同安心して岡山まで向かう。前日、わくわくして眠れなかった僕は、気付くと眠りについていてしまった。ふと目覚めて振り返ると、PA界の貴公子、益子さんはリハーサルの音源を聴いて、予習されていた。うーむ、こうやってライヴで素晴らしい音が創られていくのだな……。ムニャムニャ……。気がつくと予定通り21時にバスは岡山に到着した。さっすが、後藤さんである。
 早速、DJナイトが行われている「デスペラード」にスタッフは向かった。ヒロシは持参した沢山のCDと奮闘中だった。僕らが到着する前には、ヒロシ曰く「ゴミ評論家」の野口さんや、NO FEAR/NO MONEYの精鋭らが音楽をかけていたそうだ。お客さんは踊る者あり、語る者あり、音楽を楽しむ者ありと様々であった。だが、DJヒロシがお客さんに向かって「おいっ、そこのお前! オレの話を聞け!」と、必死に注意している姿には、思わず笑ってしまった。お客さんに注意するDJも初めてだ。次々とかけられてゆく良質な音楽とアルコールの力によって、それぞれの酔いの世界へ旅立っていった。
4月14日(日)岡山・ペパーランド
「神」、おしげもなく降臨
 朝9時に起床。すかさず、マネージャー堀田氏にモーニングコール。よし、今日も重大な任務を終えた、と、ひとりごちて集合時間の9時30分にロビーに降りてみるも、堀田氏はいっこうに現れない。起こしたはずなのにおかしいと思い電話してみると、二度寝していた。我々はお寝坊さんを置いてきぼりにし、ペパーランドへ向かった。
 本日の主催者、NO FEAR/NO MONEYの皆様と機材を下ろし、セッティング。そこでトラブル発生! ヒロシがドラムを叩くときに使う手袋が行方不明に! しかも、スタッフ一同、手袋の記憶がまったくない。僕と後藤さんで、バスを停めてあるホテルの駐車場まで戻り、空になったケースを白昼堂々あさりまくる。まるで、窃盗団だ。せっかく整頓して積んだ空ケースをさんざんちらかして、やっと手袋が発見された。そうこうしているうちに、ケダモノ圭一氏と、山川王子、我らが栃木様が会場においでになられた、そして、圭一さんが、わざわざこのツアーのためにムーンビームの柿木一宏さんからお借りした名器「フライングV」も到着。準備万端だ。今日のお昼ご飯は、NO FEAR/NO MONEYの朝子さん特製のお弁当だ! 身体に優しい、心のこもったお弁当は、きっと今夜奏でられる音にも影響するだろう。
 音速でリハーサルを終え、メンバーは会場の前に出て和む。ヒロシに、これからストリートミュージシャンをやるので、ギターを持ってくるように頼まれた。持ってくると、圭一さんと即興で創った「反逆」という歌を歌い出した。
 開演時間近くになっても楽屋に戻らないメンバー達を羊飼いのように楽屋に誘導し、本番までしばし時を待つ。ヒロシは楽屋に帰ってもまだ「反逆」という歌を歌っていた。
 アッという間に時間が過ぎ、本番が始まる。栃木様は登場と同時に頭をマイクにおぶつけになりながらも、1曲目の「スウィム」から会場をグルーヴの渦に叩き込んでいらした。ステージ上でギターを弾くのは高校以来という山川王子が、いつもより緊張した面持ちでリッケンバッカーを上品にかき慣らしていらっしゃいました。栃木様がボーカルをとる「サマータイムブルース」では、曲の冒頭でいきなり歌に入れないというアクシデントに見舞われながらも、その後は、絶唱しておられました。山川王子のギターソロで客席に乱入する栃木様。だーれも、王子のソロを見も聴きもしていませんでした。リハーサルの時に「栃木様、すごいすごい!」と言っていた僕に、ヒロシが「お前はまだ、栃木様の本当の凄さが解っていない」と言ってた意味が、今日、解りました。
4月15日(月)大阪・emme
ユダの裏切り
 NO FEAR/NO MONEYの皆様に見送っていただき、岡山を後にして大阪へ向かう。気がつくと僕はヒロシの前に座っていた。これは非常にマズイ事態だ。なぜなら、彼は移動中に眠ることができないからだ。絶えずヒロシを警戒していたのだが、後方から左右に揺さぶりをかけたくすぐり攻撃や、タバコの煙吐きかけ攻撃や、座席を激しく揺らす攻撃を阻止することは出来なかった。途中、トイレ休憩の後、戻ってみると、座席を回転できるというニューコースターならではの機能を駆使した反則技を悪マネージャーに仕組まれていた。これはもはや罰ゲームである。僕と栃木様は、ヒロシがバスに戻ってくる前に、何とか座席を戻そうと四苦八苦したが、動かないように手で押さえているという悪マネージャーの簡単なトリックに気付かず、座席を戻せないままヒロシが戻ってきた。「なぜ、僕はヒロシと向かい合わなければいけないのか?」という疑問を頭に浮かべながら、キャラバンは大阪へ進んで行く。
 ヒロシとスタッフは先にDJ会場に向かい、他のメンバーは自由行動。「30分後に電話をかけて」と言い残して街に消えた栃木様に電話をかけるが、栃木様はまったくお出にならない。数時間後、「なにか大変な事件に巻き込まれてしまったのではないか?」と心配している僕と圭一さんのところに、ご陽気な栃木様より「映画を観ていた」と、電話がかかってきた。このへんも「神」だけがなせるワザだ。
 僕たちが本日の会場「エンメ」に到着したちょうどその時、亀山の至宝と呼ばれている、マサル大王こと、岡田マサル氏がゴキゲンに音楽を流していた。その後、ヒロシの突然の紹介によって、当初、まったく予定がなかった圭一さんが、DJをすることになった。今まで、音楽をじっくり楽しんでいた会場が、突如としてダンスロアになってしまった! 我々スタッフは異常に重い机を移動し「完全ダンスフロア化」を実現させた。そこへ、山川王子も到着。栃木様も大王もみんな踊っている。なんか、とても幸せな空間だった。
 「神様」とケダモノとヒロシと王子と大王がいるこの空間は、いったい何なのだろう? 人間博覧会か? でも、さまざまな人種がかける音楽は、どれも素晴らしかった。やっぱり音楽はいいなぁ。
4月16日(火)大阪・バナナホール
「栃木祭りのテーマ」は僕らのゴスペル

 今日はどの曲もお客さんの反応が良かった。それだけ音楽が伝わっているということだろう。「ファイティングマン」での曲中、ヒロシは栃木様のスティックを取り出し、リズムを打って栃木様とコラボレーション。アコースティック編成の3人から奏でられる音量は小さかったが、音楽のエナジーは最大だった。繰り返されるサビが、胸を貫通した。いつの日か、夢の門をくぐりぬけられるのだろうか?
 「栃木祭りのテーマ」が終わっても鳴り止まないアンコールに応え、演奏されたのは「らっぱ」だった。
 ライヴ中に降っていた雨も上がったようだったので、搬出を開始する。が、搬出を開始した途端に、雨が降り出す。そんな日に限って、コースターバスを会場前に横付けできない。しかも、だんだんと雨が強くなってゆく。コースターバスに積み込む順番は決まっているはずなのだが、すでに運んでしまっている大事な機材たちがずぶ濡れになってしまうので、とりあえず順番を無視して積み込み始めてしまう。でも、壊れないように、綺麗に、美しく、整頓して積み込むのは、至難の業なのだ。スタッフは手分けして、機材にゴミ袋をかけて雨をしのいだり、携帯電話で会場と駐車場と連絡を取り合い、後藤さんをリーダーとして、現実版テトリスを時間と闘いながら無事にやってのけた。
 今日の教訓。「積むなら降るな! 降るなら積むな!」
 雨にずぶぬれになったまま、休む間もなく福岡に移動しなけらばならない。バスの中でスタッフに栃木飴が振る舞われた、めでたいときに振る舞われる酒は「振舞酒」というが、飴の場合は「振舞飴」というのだろうか? 飴を一粒、口に放り込んでみると、栃木様の味がした。
 バスは走っても走っても福岡に到着しない。まだか、まだか、と思っていると、山川王子が「一生、着かないと思えば良いんだよ。着くと思うからつらくなるのだよ」と教えてくれた。王子はブラジルへのフライトで、このことをお悟りになったらしい。
 丑三つ時を過ぎたパーキングエリアは薄暗くとても薄気味悪い。雨上がりの湿った空気の中から「ぺたっ、ぺたっ」と不気味な音がこだまするので振り返ってみると、堀田氏のスリッパの音であった。さすがコースター慣れしていると、一同感心する。(続く)

 

2002年、栃木祭り 2/2

前編に続いて、2002年4月のツアー「栃木祭り」のレポートです。執筆した、当時「丁稚」の藤井和夫は、現在、吹奏楽団「harmonize」の指揮者です。
「栃木祭り」随行日記 後編
随行丁稚=藤井和夫
4月17日(水)福岡・Drum Be-1
憔悴の果て
 夜も明ける頃、関門橋を渡り、九州に上陸。ヒロシはこの関門橋を渡ると「帰ってきた」と思うそうです。メンバー、スタッフ、憔悴しきってホテルに到着。空は完全に明るかった。さすがにラーメンを食べる気力もなく、ベッドに直行する。仮眠程度の睡眠をとって、すぐにスタッフは、本日の会場「Be-1」へ向かい、セッティングを行なう。
 どの会場でもそうであったが、怒濤のごとく「チキンシット」を演奏し終えると、いつも一瞬「シーン」となってから、拍手や歓声が巻き起こるのだが、その沈黙させてる感じがたまらなく格好よかった。「10数年ぶりに聴いたよ」と、上気しながら話す、スーツ姿の男性が印象的だった。
 打ち上げで、ヒロシと旧知の仲の、料理の美味しい某店に向かう。なんだかんだで朝5時になっていた。帰り際にヒロシは言った。「明日は、ゆっくり飲める」。
 明日、スタッフは14時間かけて東京に移動です。
4月21日(日)渋谷・セブンスフロア
東京ディスコナイト
 会場は、ヒロシを九州時代から知るマスターのお店「7th Floor」。岡山に続き、トップバッターは、ゴミ評論家こと、野口さん。徐々に会場が暖まってゆく。長谷川さんはまるでヒロシを公開録音のゲストに迎えたラジオのDJのようだった。ヒロシは「インターネットで流すなよ!」と、ヤポネシアンのデビューアルバムの制作秘話をこっそり話してくれた。長谷川さんの曲を入れるタイミングや、インタビューの語り口がとても心地よかった。
 山川王子や孝至さん(小林孝至/THE BOOM)も飛び込みで参加し、思い思いの曲をかける。控え室にいらっしゃった栃木様は、シャイなお客さんたちに業を煮やし、食べかけのチャーハンを僕に託し、フロアに出ていかれた。その後ろ姿は、これからピッチに出ていくサッカー選手のようだった。栃木様は会場のテーブルを自らの御手でお運びになり、ダンススペースをお作りになられた。そして圭一さんが登場。今宵もまた、老若男女たちが、踊り狂っていった。
 次々とかけられてゆく名曲。自分が知ってる曲でも、良い音で、大音量で聴くと、凄く気持ちがいい。こんな場所がもっと増えるといいなと思った。
4月22日(月)渋谷・ON AIR WEST
「神」昇天
 今日は、「栃木祭り」最終日だ。ライヴの本数は4本。なのに、こんなに長く感じるのはなぜだ? 一週間くらいしか東京を離れていないのに、一ヶ月ほど離れていた気分だ。
 リハーサルが始まる。圭一さんと山川王子が弾くギターアンプは、実は会場ごとに違っていて、今回は孝至さんのアンプをお借りした。王子がギターを弾いた瞬間、アクシデント発生。音の調子がおかしい。みんながアンプを取り囲んで、原因を追及。このアンプは真空管が何本か刺さっているのだが、そのうちの1本が何らかの原因で割れてしまっていたのだ。本番までに修復するのは無理そうだったので、代わりのアンプを用意する。こんな風にして、毎回アクシデントというアクセントがついて、ツアーは平穏にはいかないのであーる。
 僕はこのツアー中、リハーサルを含め、ライヴで演奏された曲達を何回も聴いたが、同じ曲でも一度たりとも同じ演奏はなかった。その瞬間のテンション、会場の空気感、様々なすべての要素が「今」の演奏に反映されるのだ。さて、今日はどんなライヴになるのだろうか。
 いつも通りライヴは「スウィム」から始まる。バンドは徐々に暖まり始めた。4曲目「怒りの門」のイントロをヒロシが弾いた瞬間、会場から歓声が上がった。会場にいたあなたは聞こえただろうか? 10年前の曲でも、「今」の曲だった。ヒートウェイヴには、隠れてしまっている名曲が被い。
 「憂鬱なファーブル」で、本日の秘密ゲスト、小林孝至登場! もはや「THE BOOM―1」である。見た目は、ヒロシがゲストのようだ。演奏が始まると、孝至さんと栃木様がアイコンタクトを取り合っていた。いつもは王子がやってることだ。「なまもの」の音楽の中で、メンバーそれぞれが自分の役割を果たしてゆく。バンドとしてのメンバーシップを感じた。
 アッという間に本編は終わり、本日も栃木様の「サマータイムブルース」の時間がやってきた。リハーサル時に、「今日は二階に上がってくれるんでしょ?」というメンバーの冗談に、「やめなさいっ!」と一蹴していた栃木様なのに、気がつくとステージを飛び降り、二階席まで駆け上がっていました。しかも、王子と孝至さんのギターソロのあいだに。お客さんたちの眼差しは、雲上の栃木様に向けられていた。二人は栃木様移動のつなぎなのだろうか? 滅多に叩かないヒロシのドラムなんて、以ての外である。やはり、「神」である。
 曲の終了と同時に会場に「栃木祭りのテーマ」が流れる。それをみんなで合掌。否、合唱した。鳴り止まないアンコールの声に応え、「らっぱ」を演奏する。最後に孝至さんが、栃木様を肩車して、祭りは終わりを告げた。
 祭りの後は、何だか淋しい気分になる。また、祭りはあるのだろうか? それは、「神」のみぞ知るのであーる。