2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「『自由』を求めて、音楽をやってきたのに、プロになった瞬間にものすごい違和感があったんだ」(山口洋)

―――ファーストアルバム『柱』(90年)から約8ヶ月というインターバルでリリースされたセカンドアルバム『凡骨の歌』(91年)。『柱』ではカメラ目線がなかった山口さんが、ついにジャケットカバーでレンズを見据えていますが、メジャーデビューから『凡骨の歌…

「実はデビュー当時のひっどいPV、あるんだけど。それだけは流さないでくれって懇願したよ。だって、演技は出来ない、歌ってるフリもできない。音楽をやるしか能がない。そんなバンドだったからね」(山口洋)

1990年、デビュー時のアーティスト写真 ―――ここでちょっとヒートウェイヴ30周年史からずれてしまうんですが、「歳月の記録」(89年)は廃盤になっていたのが、2004年に細海魚さんによるリマスタリングで再リリースされました(→★)。80年代のCDはいまそのま…

「レコーディングの方法や、プレス、宣伝、流通に至るまで、ゼロから学んでいったんだ」(山口洋)

1989年、福岡・都久志会館での上京前、最後のコンサート ―――渡辺圭一さんがベースとして加入して、その頃から山口さんがヴォーカルもとるようになったんですか? 山口洋 圭一がベースを弾くようになって、ある日、ヴォーカルがライヴの前の日に辞めたんだ。…

「当時、有名になるにはコンテストに出るしかなかった。そこでいろんな賞をもらうようになって、最前列にいつも目立つデカい客が居たのね。それが渡辺圭一」(山口洋)

1982年のヒートウェイヴ。ロックコンテストにて。ヴォーカルは中原、山口洋は右端のギター。この日も渡辺圭一は客席の最前列に居た。 ―――福岡には素晴らしいレコード店がたくさんあったということは何度か山口さんから聞いていますが、ほぼ同世代で岐阜育ち…

「その時、心の中で声を聞いたんだよ。悪魔の声。『お前はバンドをやれ』って」(山口洋)

ヒートウェイヴの公式サイトのバイオグラフィーには、バンドの起源については「1979年福岡にて結成」とだけ記されている。正確な日付は不詳。山口洋、高校1年の年だ。以下に語られた結成エピソードからして、さすがに1学期ではないだろう。夏休み明けの2学期…