「その時、心の中で声を聞いたんだよ。悪魔の声。『お前はバンドをやれ』って」(山口洋)

ヒートウェイヴの公式サイトのバイオグラフィーには、バンドの起源については「1979年福岡にて結成」とだけ記されている。正確な日付は不詳。山口洋、高校1年の年だ。以下に語られた結成エピソードからして、さすがに1学期ではないだろう。夏休み明けの2学期、残暑の午後。つまり30年前のいまぐらいの時期にそれは起こったのだ、と推測する。
ヒートウェイヴ結成30周年記念連続インタビュー第一回は、もちろん山口洋に、バンド結成時のことを訊いてみました。下の写真は当時の山口洋(16)。
―――ヒートウェイヴ結成30周年。1979年に福岡でバンド結成ということですが、当時高校生だったということですね? 「授業が退屈だったからバンドを結成した」という逸話を聞いたことがあります。この真偽と、もし本当なら結成の経緯を教えてください。
山口洋 うん。その話は本当だよ。オレは高校一年生だったと思う。田んぼの真ん中にある、ド田舎の高校の授業中。退屈で、耐えられなかった。その時、心の中で声を聞いたんだよ。悪魔の声。
「お前はバンドをやれ」って。だから、教科書の端っこをちぎって、お前がベース、お前がヴォーカル、お前がドラムって。そうやって作ったのがヒートウェイヴ。まさか、この年までやるとは思わなかったけどね。
―――で、ギターを担当したのが山口さんだったわけですね。ギターを弾き始めたきっかけを教えてください。
山口洋 14歳の誕生日にね。今でも無二の親友である男に、ギターを教えてもらったのよ。初めてGのコードを弾いたときに、脳髄に稲妻が走ったんだよ。「これだ」って。
同時に彼にオレは絵を描くことを教えた。互いの才能が見事なまでに交錯してね。あっと云う間に互いが互いを追い越して、奴は絵描きになった。そしてオレはミュージシャン。人生を決定するものに、14歳で出会ったのはラッキーだったと思うよ。その時代は教則本も何もなかったんだ。田舎の街には。だから、工夫して見よう見まねでやるしかなかった。
エレキギターなんて買えなかったから、家にあったガットギターに鉄の弦を張って弾いてたんだ。指から血を流しながらね。今、振り返ると、それが良かったんだと思う。きっかけを除いて、誰からも習わなかったこと。自分で学んだこと。それが自分のスタイルを作ったんだと思う。15歳になって、バイトして、初めてエレクトリックギターを買ったときに、あまりの弾きやすさに驚いたよ。
―――1990年のアルバム『柱』に、"俺は16で足を踏み外した なんとラッキーな人生だろう"というフレーズがあります。これは、当時の、バンド結成のことを指しているのでしょうか?
山口洋 その通り。他のメンバーはそうでもなかったのかもしれないし、実際、受験勉強をもしてたけど。オレは夢中になった。頭の中には彼女のこととバンドのことしかなかった。
―――山口さんは以前、この時期のフェイバリットアルバムに『BLACK & BLUE』(THE ROLLING STONES)、『MARQUE MOON』(TELEVISION)、『OUT OF THEIR SKULLS』(THE PIRATES)を挙げていましたが、彼らの音楽もカヴァーしていのでしょうか?
山口洋 オレは本気でキース・リチャードになろうと思ってた。後はジョー・ストラマーかなぁ。
彼女とデートしてない時間はすべて音楽に費やしてた。授業中も、アルバム一枚はしょらずに頭の中で再生するのね。今考えると、いいトレーニングになってたとは思う。
福岡って街は素晴らしいレコード屋さんがたくさんあってね。そこでブルースとかルーツミュージックを学んだよ。パイレーツはオレのギターにガッツを与えた。
同時にNYで生まれた音楽も好きで、テレビジョンからはセンスを学んでたのかな。
(※その2に続きます)

BLACK & BLUE-2009 REMA
マーキー・ムーン
Out of Their Skulls..Plus