「ある種の意思を持った人たちは、時間をかけて、いつか「必然的に」出会って、なおかつ有機的に繋がっていくんだってことを、身をもって学んだんだ」山口洋


撮影=山口洋


―――ヒートウェイヴ渾身のボックスセット『land of music "the Rising"』内のドキュメンタリーDVD『Searching for "land of music"』にも収録され、ダイアリー本『Days of "land of music"』に記された山口洋2006年のソロツアー“on the road, again”。この続々編となったのが2007年の“on the road, again vol.3”。ツアー最終地点になったのは沖縄那覇石垣島での2公演。どちらも主催したのは、沖縄在住の山口洋旧知の友人、野田隆司さん(ハーベストファーム)。山口洋との出会いは、彼のこちらの日記に記されています。
 今回は山口洋と、野田隆司さんとの対談インタビューをお送りします。

 昨年の沖縄2公演が決まったのは、先日もリクオさんとのライヴが行なわれた宮城県白石市という、沖縄から遠く離れた「カフェミルトン」での2007年6月の山口洋のライヴだったんですよね。野田さんはどうして沖縄からそこまで足を運んだのですか? また、山口洋の沖縄ライヴに「荒野のアサイラム」というサブタイトルが付けられていた理由を教えてください。


野田隆司 「カフェミルトン」のことは、沖縄に通うミュージシャンに話を聞いて随分前から知っていました。沖縄のミュージシャンの何人かもそこで歌わせてもらってましたから。で、「ミルトン」の開店10周年の時に出た『カフェミルトンへのサウダージ』というコンピレーション・アルバムをショーロクラブ笹子重治さんにいただいて、「沖縄タイムス」という地元の新聞にレビューを書かせてもらったんです(この記事、「ミルトン」のトイレに貼ってありました)。
 まだその時に「ミルトン」の三浦さんご夫妻との面識はなかったんですが、何となくそのあたりから交流が出来始めて、2007年2月に、那覇桜坂劇場「カフェミルトンへのサウダージ」というイベントをやることになったんです。これは、新良幸人さんや下地勇さん、比屋定篤子さんという沖縄のミュージシャンの強い後押しもありつつ、沢知恵さんや大塚まさじさんにも那覇まで来ていただいて歌ってもらいました。三浦さんご夫妻にはその時に初めてあって、そのうち「ミルトン」に行きたいという話をしていました。
 その後(2007年6月)、どういう縁かわかりませんが、「ミルトン」でヒロシ(山口洋)のライブがあるときいて、多分このタイミングなのかなぁと思いつつ白石まで出かけました。白石という町は、おそらく日本のどこにでもあるような小さな町だと思うんですけど、近くには居心地のいい温泉があって、おそらくこれまでの人生の中で一番と言える美味しい日本そば屋があるような素敵なところでした。「ミルトン」に当たり前に息づいているホスピタリティは何ものにも代え難く、そこで聴いたヒロシの歌は、とても自由で説得力があるように感じました。

 「荒野のアサイラム」というのは、昨年12月、ヒロシのライブの2カ月前に那覇でやったイベントのタイトルです。できればそこにヒロシにも来てもらえたらと思いつつ、スケジュール的に叶わなかったので、「special expansion」という形にしました。
 「アサイラム」というのは、ヒロシファンにはお馴染みの、青森県弘前市にある斉藤浩さんが営むバーの名前から拝借しました。日本語では「避難所」とか「シェルター」という意味があります。
 最初に弘前を訪ねたのは2006年10月、ヒロシのblogで紹介されていた奈良美智さんの「A to Z」という展覧会をみるためです。その時、斉藤さんは「JOY POPS」というCDショップを営んでいたんです。そのことも知っていて、店も訪ねたのですが、声をかけられなかったんです。何となく。「A to Z」は展覧会そのものも、ボランティアによる運営というところも素晴らしくて「JOY POPS」のCDのセレクションも抜群でした。でも、その時は、「いつかまた来ることがあるのかなぁ…」と感じていました。東京や大阪といった大都市ならともかく沖縄から東北の小さな町まで出かけていくというのは、相当なハードルがあります。

 タテタカコさんという女性シンガーとは『誰も知らない』という映画で「宝石」という曲が使われた頃から付き合いをさせてもらっています。彼女が斉藤さんのことをよく知っていると聞いたのは、私が弘前から帰った後のことでした。
 彼女が2007年の春にライブで沖縄を訪れたときに、沖縄でイベントをやる話で盛り上がりました。その時に上がったのが、eastern youthタテタカコさんのジョイント。弘前の「A to Z」を軸にした奈良美智さんのドキュメンタリー映画「NARA〜奈良美智との旅の記録」の上映も始まった時期で、奈良さんや斉藤さんも呼んで何かしら一緒にできるんじゃないかという風に妄想は広がりました。
 それで6月、タテさんが弘前でソロライブをやるときいた時に、直感的に行ってみようと思いました。「次、いつ行けるだろう」と思っていた弘前という町が、とても近くに思えるようになりました。ちなみにその後9月にもeastern youthとタテさんのライブを聴きに弘前に出かけました。
 イベントのタイトルを「荒野のアサイラム」としたのは、音楽や映像、絵、言葉といった表現が、現代というタフな荒野における避難所みたいな意味があるのではないかと思いました。奈良さんの映画のエンディングにも使われたeastern youthの「荒野に針路をとれ」という曲がイベント全体のトータルなテーマ曲のようにもなっていたということもあります。それと、この年の6月に取材で会った佐野元春さんが、アルバム『COYOTE』のキャッチコピーが「21世紀の荒地を往く者たちに」というやつで、その辺にも個人的にインスパイアされていました。
 結局、最初に弘前に行ったきっかけがヒロシのblogだったわけで、イベント的には12月の「on the road ,again vol.3」の沖縄公演まで繋がっていると考えていました。


山口洋 俺ね、外国をふらふらするようになってから、ある種の意思を持った人たちは、時間をかけて、いつか「必然的に」出会って、なおかつ有機的に繋がっていくんだってことを、身をもって学んだんだ。だから、いわゆる「業界的」な繋がりが、本能的に気持ちよくなかったから、自然に切れて行くことも同時に必然だと思ってた。野田君が語ってくれたそれぞれの人物について記すと、このスペースがなくなっちゃうくらいに、それぞれ魅力的だから触れないけれど、野田君そのものも、僕にとってはそのうちの一人って訳です。
 彼がいつ俺の前に現れたのか忘れたけど、多分10年以上前だったと思う。彼は長崎出身で、ウチナーンチュ(沖縄生まれ)じゃないんだけど、大学時代から沖縄にしっかり根を張っていて、なおかつタンポポみたいに風に乗っていくフットワークの軽さもあって、おまけに風貌はサイに似てる。印象的だったのは、東京赤坂の喫茶店で彼の取材を受けてた時のこと。「これって、何の雑誌の取材?」って俺が聞いたら、「いえ、まだ決まってません。でも、沖縄に帰ってから決めます。作品が好きだったから自費で飛んできました」ってさ。どこかのライターに聞かせてやりたいよ、この台詞。あのサイみたいな身体の中には静かに熱い情熱がある。そうそう、彼に八重山に連れて行ってもらったんだけど、2007年度、最高のヒットだったよ。唯一のオフの日に、俺は近くの島に行こうと思ってた。で、彼に聞いたら、「黒島がいいんじゃないですかー」って。ボソっと。ただ、それだけ。もちろん彼は同行しない。そんなところが好きなんだ、俺は。
 日本中にこんな人たちが沢山居るってことを、捨てたもんじゃないってことを、land of musicを伝えたかったんだ。それは何ものにも代え難いんだよ、俺の中じゃ。それを繋いでいくのが、偶然を必然に変えていくのが、俺たち「ギターを持った渡り鳥」の仕事って訳です。



―――つい先日の山口洋リクオさんとの宮城県白石市「カフェミルトン」でのライヴにも野田さんは沖縄から行かれたそうですが、ぜひ感想を教えてください。


野田隆司 2007年6月に見た「カフェミルトン」でのライブは圧倒的でした。この3月のライブも会場に入った時点から非常に「特別なライブ」という空気感が充満していました。そうした会場の空気感はアーティストにも確実に伝染して、パフォーマンスの密度を押し上げると思います。
 リクオさんとのジョイントがどういうものなのか想像できませんでした。ですから最初に二人で舞台に上がったときはちょっと驚きました。互いの音楽を交感するような感じのジョイント。ヒロシの演奏や言葉からは、親しい友人であるリクオさんを「ミルトン」という「Land of Music」をそのままあらわしているような場所で、心から紹介したいといった温かい想いがあふれていました。リクオさんの演奏もそれに応えるようなもので、とても素晴らしかった。1+1が、3にも4にもなるようなライブでした。
 「ミルトン」ならではの、希望者全員参加というエンドレスな打ち上げもスゴイ。この日も半分ほどの人が参加していたと思います。ミュージシャンとオーディエンスが、これほど気持ちよく交流出来る場所というのも少ないのではないでしょうか。おそらくそれは三浦さん夫妻の人間性からくるものだと思います。


山口洋 「ミルトン」には音楽の神様が棲んでる。そうとしか云いようがないなぁ。来れば分かるよ。長い時間と想いを込めて、もう機と気が熟してると思う。これから、それらは伝播していくはずだよ。世界中のあちこちに。野田君のタンポポみたいに。ダンデライオン



―――野田さんは現在、沖縄で多くのライヴ、イベントを主催したり、高良結香さんなどの音楽プロデュース、雑誌『カラカラ』の編集長、映画館「桜坂劇場」運営に関わるなど、本当に多岐に渡った活動をしていますよね。東京中心、東京発信の文化に画一化されつつあるような日本の中で沖縄が独自の文化を持って、逆に内地に発信しているのは、野田さんのような「自立」した表現者が沖縄にはたくさんいるからだと推測しています。例えば、山口洋那覇公演に訪れた沖縄のミュージシャンたち、「すべりだい」「知花竜海」「カクマクシャカ」も当たり前のように自分のレーベルを作り、そこから音源を発信していますよね。こういった沖縄のシーンを支える土壌というのはどういうところにあるのでしょうか? また、野田さん自身もそうですが、沖縄の表現者たちの独自性、自立性の理由をお教えください。


野田隆司 正直、理由はわかりません。よくいわれるのは、昔から島唄が地元に根づいていて、エイサーをはじめとする伝統芸能が、先輩から後輩に当たり前に受け継がれるような土壌がある。実演家が多くて、ライブや公演に誘われる機会も多いし、ライブ会場に出かけるのも、特別なことという意識はあまりない気がします。日常的に存在するそうした背景が、シーンを支えているのではないでしょうか。

 沖縄の表現者たちの独自性、自立性の理由…。それぞれが個人個人でやっているので、ほかの人のことはよくわかりません。単純にCDのことだけを考えると、高品質のハードが安価で手に入るようになって、気軽にレコーディングができるようになったということではないでしょうか。プレスの値段も随分安くなりましたし(でも、これは沖縄のことだけじゃないですよね)。
 沖縄は小さいコミュニティなので、ミュージシャン同士、メジャー、インディーズ関わらず知り合いのことも多くて、互いの壁もそれほど高くないと思います。それぞれは独立してはいるんですが、誰かの成功体験を当たり前に共有することができることが多いんです。だから、割と見よう見まねで、友達のミュージシャンの話を聞きながらCDを作ったり、イベントをやったりということも多いですよね、推測なんですけど。そういう人にはガージュー(芯を曲げない人)が多いから、どこかに属して手を借りるというやり方ではなく、自分なりのやり方でどんどんチャレンジしていく。考える前に飛んでしまうタイプが多いと思うんです。その結果、こんなに小さな島で毎年膨大なCDがリリースされ、イベントが行なわれるわけです。でも、うまくいかないこともかなりある。作ったり、演奏したりする人は多いけど、それを商品としてきちんとプロデュースして宣伝して売っていくというやり方は非常に手探りな状態です。だから、ここ数年ヒロシがやっているやり方は、沖縄に限らずインディーズのミュージシャンにとって、一つの大きな手本になっていると思います。
 独立性、自立性というと聞こえはいいですが、実際には非常に苦労して、困難に直面している人が多いと思います、私を含めて。でも、そこは乗り越えていくための努力を惜しんではいけないわけですけど…。


山口洋 それについて僕は語る資格がないし、語れるほどよく沖縄を知ってもいないよ。ただ、あまりにも素晴らしいものと、あまりにも素晴らしくないもの、例えば基地だったりね、そして芳醇な文化と、哀しい歴史が混在してる。そこから受け取るものはあまりに多い。今、咀嚼してる途中だよ。先日、野田君が自らのレーベルでシンガーをプロデュースしてる現場を見せてもらったんだけど、本当の意味でインディペンダントだなぁ、と感嘆したよ。話は随分遡るけど、俺がデビューした時、何故福岡に住みながらにして、世界に向けて発信できないんだって、随分悩んだんだ。厳しい現実があることは分かってるけど、ようやくそれが実現しつつある。それは嬉しかったなぁ。



―――今年6月に大分、熊本、鹿児島で山口洋と競演するシンガー、タテタカコさんも野田さん主催で沖縄で何度かコンサートを開いていますよね。ぜひ、彼女の魅力をヒートウェイヴ・ファンにも教えてください。


野田隆司 タテさんはちょうど今(3月31日〜4月1日)、沖縄に新作のプロモーションに来ていて、今朝インタビューをしたところでした。
 彼女の音楽は、常に何かを突きつけられている感じで、胸がヒリヒリと痛みます。今日も話していたのは「アタマで考えて音楽を作るとやらしくなってしまう」ということ。アタマの中にある固定的な考えや余計なイメージを取っ払わないと、音楽は出てこないそうです。自分の中の余分なものを吐き出して贅肉を落として、その先で、あきらめそうになった時に出てくるということました。
 彼女は、自分自身で格好をつけたり、取り繕ったりということを、極度に嫌います。そうした態度を音楽で突きつけられると、日々様々なものを身にまとっている私にすると「どうしよう」とうろたえてしまう。見透かされているように感じてしまうんです。でも、そうした形で日々を生きている彼女の音楽を聴いていると違った意味での希望が芽生えるように思えます。タテさん自身は難しい人ではなくて、とても人間味にあふれた人だと思います。ヒロシとのジョイントは実に興味深いです。


山口洋 一回しか会ったことないけど、彼女は本能で生きてるって意味で「サル」っぽい人だなぁ、と。失礼を承知で。一緒に演奏した時、周囲はドキドキしてたみたいだけど、何も問題ないって。真ん中に音楽があるから。愉しかったよ。願わくば彼女もそう思っててくれると嬉しいなぁ。表現者なんて、矛盾してて当たり前だし、ある種世の中に背を向けてる、あるいは向けざるを得ないから、歌わないと死んじゃう生き物なんだと思ってる。そんな意味で彼女の表現に対する姿勢は至極まっとうなものだよ。一緒に音楽に向かってると刺激を受けるし、今更カツオブシみたいに自分を削らなくても、その方法は身につけたから、彼女みたいにヒリヒリはしていないとは思うけど、根っこにあるものにはとてもシンパシーを感じてるし、また一緒に演奏できるのは嬉しいなぁ。「あれから、どうしてた?」みたいな会話が音楽で、彼女とは出来ると思うから。