「先日の代官山のライヴを観て思ったんだけど、“life goes on”というフレーズに続いて、もし日本語でもう一声叫ぶなら“俺たちに未来はある”なんです。決して“ノー・フューチャー”ではない」三保航太

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

  • 作者: 三保航太,はらだゆきこ
  • 出版社/メーカー: メディア総合研究所
  • 発売日: 2009/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 いつもこのインタビューを仕切ってくれているS君が三保航太という筆名で本を書いた。『僕とうつとの調子っぱずれな二年間』。
 日本中をぐるぐる廻っていて、いったいこの国にはどれだけの闇があるんだろう、と暗澹たる気持ちになることもある。世界が狂っているのか、自分が狂っているのか、僕もときどき分からなくなる。でも、それはある種の人間にとって、それは当たり前の感覚だとも思う。
 S君の文、そしてはらだゆきこさんのマンガによる、彼の「うつ」の実体験を描いたこの本は、今までに感じたことのないタイプの励ましを僕に与えてくれた。云っておくけど、ここに応えはない。そんなものあるんだったら、誰も悩まない。けれど、音楽が時にひどくニンゲンを励ますように、音楽を愛してやまない二人が描いたこの本には、この世界を生き抜くヒントに溢れている。身内意識を捨てたとしても、今いろんな悩みを抱えている人たちがこの本を手にしてほしいと夢想する。だから、いつもとは立場を逆にして、僕がインタビューを試みることにした。(山口洋
山口洋 どもども。逆の立場ってのは難しいもんだね。まずはHEATWAVEとの関わりを。そして差し支えなければ、うつになったきっかけを教えてください。
三保航太 逆の立場より、自分の筆名に慣れないですねー。ヒートウェイヴとの関わりは、アルバム『柱』のサンプルカセットを、「これ気に入ると思うよ」と音楽ライターの野口顕さんから手渡されて聴いたのがきっかけです。すぐにライヴを観に行きました(たぶん1990年、インクスティック)。
好きなものを追いかけてるといつかどこかで接点ができるというのが僕の経験則なのですが、1996年、当時僕が編集者として勤務してた音楽事務所ヒートウェイヴが移籍してきて、その後は、本やアルバムジャケットの編集や、「極東地獄ラジオ」という音楽番組を一緒に作ってきました。最近では『land of music "the Rising "』の中の本を編集しました。『僕とうつとの調子っぱずれな二年間』の中にも、『the Rising』の日記本を編集し、完成した本を埼玉の印刷所に受け取りに行くエピソードを書いています。あのときはとても嬉しかった。
うつになったきっかけは、わかりません。医学的には、脳内の神経伝達物質であるセロトニンノルアドレナリンが欠乏することによって起こるという説が有力だそうです。僕も誤解していたのですが、うつはストレスや気持ちが弱いからなる病気ではありません。誰でもかかる病気です。日本には推定100万人のうつ病者がいるそうです。
山口洋 うつが三保君にもたらしてくれたもの、教えてくれますか? でもって、それらの経験から、人は自らの暗部とどのように共生していけばいいんでしょう?
三保航太 失ったことはたくさんありました。本が読めなくなり、音楽が聴けなくなりと、それまで好きだったことができなくなりました。好奇心や気力が低下して、仕事はもちろん外出すら困難になりました。不眠もあったし、穴の中のハードボイルド・ワンダーランドには「やみくろ」がうろうろしていてとても危険だし。……やみくろの部分はもちろん冗談ですけどね。でも、控えめに言って、あまり愉快な場所ではないです、そこは。だから、僕は外に出ようと思いました。うつがもたらしてくれるものなんて誰も欲しがらないようなものばかりです。それでも、そこから脱出しようとジタバタしたのはよかったと思っています。いまの僕はようやく再スタート地点に立ったところです。
人は誰もが闇を抱えてると思います。別に特別なことじゃない。そこに落ちないように注意すればいいのだし、落ちてしまっても這い上がる方法はあります。
山口洋 この本を書くことによって、伝えたかったこと、教えてくれますか? ちなみに、僕はblogにも書きましたが、今までにないタイプの「励まし」を受けました。
三保航太 20年近くも昔、『柱』のカセットテープを手渡されたように、僕はたくさんの人からいろんなものを受け取ってきました。いまここにいる僕は、これまでに手渡されてきたたくさんのもので構成されたパッチワークです。だからこんどは僕が、僕と同じように苦しんでる人たちに、未来はあるよ、ということを自分の体験で伝えられたらうれしいです。
自分の中の闇に潜むのは、自分を守るための自衛策かもしれない。僕もきっとそうだった。だけど世界から自分を遮断して、閉じこもっている意味はあるのかと考え始めたときに、僕は「生の肯定」を表現する作品をいままでたくさん手渡されてきたことを思い出しました。そういったものしか自分には響かなかったし、それらが出口を示す光として感じられた。僕の調子っぱずれなジタバタぶりははっきり言ってかなりマヌケだけど、これが誰かにとっての光になればいいなあと思って書きました。
山口洋 はらだゆきこさんのマンガ。秀逸でした。愛に溢れていました。落涙しました。その表現は三保君が云うところの「確かな光」で、やわらかな「生の肯定」だと感じました。
人は穴の底に居るとき、言葉を発することさえ難しいのだ、ということを僕も最近知りました。誰かが猛然と語った言葉より、語られなかった言葉に耳を澄ましたいと、そう思います。
テキストとマンガという表現方法を選んだ理由を教えてください。
三保航太 うつのひどいときには僕は文章を読むことすらできなかったので、最初からマンガ化を考えていました。
はらだゆきこさんは、後期の「東京地獄新聞」のデザイナーであり、本業はイラストレーターで、これが初めてのマンガとなるわけですが、元「東京地獄新聞」編集長の僕の直感としても、キャンプ仲間としても、僕の体験をマンガにできるのははらださんしかいないと思っていました。
だから僕の文章も最初はマンガ用の「あらすじ」として書いてました。でも途中から、「文章」として書き直していったら、これはうつの人以外にも伝わるものがあるんじゃないかと思い、マンガと文章の並列という本になったんです。はらださんのマンガがあることで、ひとりよがりの表現にならなかったし、マンガならではの遊びもたくさんあって、面白いコラボレーションになったと思います。
山口洋 三保君は、いや誰もが「life goes on」で、この本の続きを作者はもう既に生きている訳です。未来が「unwritten」だったとしても、どのようなものにしたいと考えていますか?
三保航太 先日、ヒートウェイヴの代官山でのライヴを観て思ったんだけど、“life goes on”というフレーズに続いて、もし日本語でもう一声叫ぶなら“俺たちに未来はある”なんです。決して“ノー・フューチャー”ではない。
もう一曲、代官山での曲で“どんな気がするこの時代に正気を保つのは?”というフレーズがありましたよね。世界もまた狂ってる。だったら正気を保つためには、世界に抗う必要もあるはずです。
「あなたのおこなう行動が、ほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければなりません。それは世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためにです」と、マハトマ・ガンジーさんが言ったように。こんなふうにガンジーの言葉も誰かが僕に手渡し、僕を動かす。あとから知ったことですが、僕もはらださんも、本の中で医学的な解説をしてくれたライターさんもみんな、今年の頭、ガザ空爆に抗議するデモに参加してたそうです。そんなふうにこれからも、いやなものにはジタバタしたり、ごちゃごちゃ言いながら抵抗していくと思います。