「(2001年、大阪バナナホール)雨が止むまで待つ時間もない。スタッフみんなで、『よし!』と気合いを入れて、なるべく機材を濡らさないように運んで車に積み込みました。みんな、ずぶ濡れで、シャワーも浴びず、そのまま名古屋に向かったのですが、その時の『みんなでやった感』が、今でも心に残っています」(藤井和夫)

―――20世紀末からの数年間だろうか、徒弟制度のない(あたりまえだ)ヒートウェイヴに「丁稚」(でっち)と呼ばれる男がいた。またの名を藤井和夫。ツアーやレコーディングに同行し、楽器を運び、撤収し、あろうことか、2001年のステージではアンコールに乱入し、ギターケースを弾いた! ヒートウェイヴ結成30周年の今年、先日の代官山、横浜で彼の姿を久しぶりに客席で見たので、インタビューしてみました。
そもそもヒートウェイヴの「丁稚」になったのはどんなきっかけからですか? また、その仕事はどんな内容だったのでしょうか?
藤井和夫 中村貴子さんの「ミュージックスクエア」というラジオ番組で、偶然、「棘」という曲を聴いたとき、音が出た瞬間に心を奪われました。その後、学ランで新宿にあったライヴハウス「パワーステーション」へヒートウェイヴを観に行ったりしていたのですが、1997年に「歌の宅配便」(愛知県常滑)に行った際に、打ち上げに参加させていただく機会がありました。そのあたりから、毎回演奏が違うヒートウェイヴが面白くて、東京から名古屋まで足を延ばしてライヴに行くようになっていき、1999年くらいから機材の搬出などのお手伝いしているうちに、気付いたら「丁稚」になっていました(笑)。僕自身、どうやって、ロックンロールが創られていくのかに興味があったので、非常に勉強になりました。
「丁稚」の仕事は、楽器を運んだり、お弁当を注文したり、ライヴで物販を担当したり、『ヒヲウ戦記』を録音していた蔵王では、町まで買出しにいったりしていました。蔵王では山川浩正さんとシチューを作ったなぁ。仕事というか、お手伝いですね。
ギターケースでのステージ乱入は、山口さんに突然「なんかやれ」と言われたんだったと思います。ですが、あの会場のバックステージは、人が一人いられればいいくらいのスペースで、何もないんですね(笑)。ふと、横を見るとギターケースが……。乱入したのは良いものの、引っ込むきっかけをなくして、ステージ上で挙動不審だったことを覚えています。
―――当時のヒートウェイヴとのツアーやレコーディングなどの中で、いちばん印象に残ってることは何ですか? また、最近、山口洋+細海魚の代官山でのライヴ、山口洋池畑潤二+渡辺圭一の横浜でのライヴを観て、いかがでしたか?
藤井和夫 僕がお手伝いさせていただいていた頃は、ちょうど、バンドが移り変わる時代で、活動休止ツアー、『ヒヲウ戦記』のレコーディング、『LONG WAY FOR NOTHING』の福岡でのレコーディングがあった、ある意味、激動の時期でした。ですので、一番を決めるのは、大変難しいのですが、2001年3月20日、ツアー「機巧襲撃」大阪バナナホールのライブ終了後、機材を搬出しようとした時に、雨が降ってきたんですね。諸事情で、バナナホールに楽器車を横付けできなくて、運ぶにしても、駐車場まで少し距離があったんです。その夜は、そのまま名古屋に移動だったので、雨が止むまで待つ時間もない。スタッフみんなで、「よし!」と気合いを入れて、なるべく機材を濡らさないように運んで車に積み込みました。みんな、ずぶ濡れで、シャワーも浴びず、そのまま名古屋に向かったのですが、その時の「みんなでやった感」が、今でも心に残っています。
また、これもどこかのツアー中だったと思いますが、話の流れで、藤井は気合いが足りないので、「髪でも染めろ!」という話になったんです。「髪を染めると気合いが入るのか!」、と当時若かった僕は思い、深夜、コンビニで毛染めを買い、ホテルの部屋で刺激臭を漂わせながら、マネージャーH氏に気合いを入れてもらって金髪にしたのですが、翌日、「髪でも染めろ!」と言っていた山口さんは、どこ吹く風で、まったくいじってももらえず、しょんぼりしました(笑)。染髪=不良というイメージだったので、一大決心をして、初めての染髪に臨んだのですが……。ツアーから帰宅すると、母親がびっくりして、「何かあったの?」と心配されました。
以前のヒートウェイヴは、「山口色」が印象的だったバンドだと思います。もちろん、それが良いとか悪いとかではなくて。バンドのバランスは、その日その場で、どんどん変化していきますから、結果として、そうなったのだと思います。今は、予定調和という意味ではなく、安定していると感じています。そして、どこまで自由に出来るかを、模索し楽しんでいるように見えます。随分、偉そうなことを言っていますね、俺(笑)。でも、今のバンドで、山口色の強い音楽が聴いてみたいです。もっと、山口さんに暴走してもらいたいですね。音量とかテンポとかじゃないですよ。もちろん、ギャグでもありません。ファンだから、勝手に期待して要望してしまいますが。その時が来たら、自然にそうなると思っています。
―――藤井くんはもともと音大卒で、サクソフォーンを専攻していて、いまは、指揮者として、吹奏楽団を主宰しているんですよね? 吹奏楽団を指揮するにあたって、ヒートウェイヴの「丁稚」時代に学んで役に立ったことはありましたか? 今月27日には東京・日野市民会館大ホールで藤井くんが主宰する吹奏楽団がチャリティーコンサートを開催するそうですが、この主旨を教えてください。
藤井和夫 意外に思われるかもしれませんが、ヒートウェイヴやロックンロールが、僕のど真ん中を貫いている感動と、フルトヴェングラーを聴いたり、クラシックを演奏したりして得る感動は、僕にとっては、同じです。きっと、僕が音楽に対して、「何を求めているか」の部分が同じだからだと思いますが。ただ人が集まって、音を出しても、「バンドサウンド」には、なりません。人と人との結びつきや、その人がそこにいる意味、みたいなものが、明確になったり、自覚したり、影響しあったりしないと、「バンドサウンド」は生まれないと思っています。
ヒートウェイヴもバンド、吹奏楽もバンドです。ジャンルは、違いますが、大事なことは一緒だと、ヒートウェイヴと一緒に行動させてもらって感じました。
まず、僕の主宰している吹奏楽団ですが、学校の部活動を卒業しても音楽を続けたい人や、今は、吹奏楽をやりたくても、人がいなくて活動できない中学や高校もあるのでそういう所から参加したり、僕の中高の同級生だったりと、多方面から参加してくれています。メンバーは、高校生から40代まで。音楽や、他人と音を合わせるのが好きな人たちが50人くらい集まっています。新潟から参加してくれている人もいます。
今回のコンサートについてですが、自分たちが演奏することによって、少しでも誰かの役に立てたら、という思いで、チャリティーコンサートにしました。また、大人になると、意識的に行動しないと、知ったり、学んだりする機会がなかなかないので、僕たち自身も、そういうきっかけになれば良いということもありました。
今回、支援する「NPO日向ぼっこ」は、児童養護施設で生活していた方が、施設を出てからも(原則18歳になると養護施設は退所になります)、気軽に集まれるために開設したサロンです。
以前、大学に、もぐりで講義を受けに行った時に、「NPO日向ぼっこ」代表の渡井さゆりさんのお話を伺いました(参考→)。その時、「社会的養護をまず、みなさんに知って欲しい」とおっしゃっていたんです。「知って欲しい」ということは、僕が以前、「NPO文化学習協同ネットワーク」という所で、若者支援をしていた時に感じたことと同じだったんです。いつか、音楽を通して、みなさんに知っていただけるコンサートができたらなぁと、なんとなく夢見ていました。他人の課題は、自分の課題と通じるところがあるので、まったく関係ないとも思えないし、少しでも善意が集まって、やさしさを感じられる演奏会に出来たらいいな、と思っています。入場無料で、募金は全額「NPO日向ぼっこ」に寄付させていただきます(※ヒートウェイヴの出演はありません)。