「自力で街に入って、いろんな風景に出会い、人に出会い、音楽を通じて、人と交流するのはミュージシャンの原点だと、俺は思うよ」山口洋


2007年12月、山口洋リクオ「THE HOBO JUNGLE TOUR」にて。写真提供=リクオ


―――(山口洋インタビュー1より続く)アルバム『land of music』は、2006年1月に山梨県小淵沢のスタジオで最初の音がレコーディングされてから、約1年の間に何度もレコーディング期間があり、その間には晩冬(2月〜3月)と初秋(8月〜9月)に、初めて行く町を含め全36本の山口洋ソロツアー「on the road, again」を行っています。こういったツアーを思いついたきっかけについては2005年12月11日の日記に記されていましたが、2年後のちょうど現在、きっかけを与えてくれた「独力でツアーを続けるガッツのあるミュージシャン」のひとり、リクオさんとのツアー「THE HOBO JUNGLE TOUR」の真っ最中ですよね。新潟でのライヴを終えたばかりの2007年12月11日の今夜、ツアー「on the road, again」があのアルバムに与えた影響を振り返ってください。


山口洋 そうねぇ。あまりにも本数が多いと、いろんな事が起きるんだよ。笑っちゃうようなことから、まじすか、みたいな事まで。でも、いつも真ん中に音楽があって、人が居るんだ。イベンターが居てくれるツアーにももちろん意義がある。けれど、こうやって、自力で街に入って、いろんな風景に出会い、人に出会い、音楽を通じて、人と交流するのはミュージシャンの原点だと、俺は思うよ。昔、外国のミュージシャンに云われたもんだよ。「どうして日本のミュージシャンはライヴで生きていこうとしないのか」ってね。その言葉の通りだった。
いつも目の前に現場があるってことは、稀にしんどい事でもあるけど、毎晩違った宇宙を目指すって意味では随分鍛えられるんだよ。いろんな意味で。リクオのオン,オフの切り替えはマエストロの領域に達してるよ(笑)。夕方4時の奴は、いつ見ても廃人。でも、7時には「リクオ」になってる。ははは。ちなみにこのツアーやるまで、俺は奴の名字を知らなかった。「リ・クオ」さんかと思ってたよ。ははは。
この国の素晴らしさと、思いっきりダメなところを両方見てるんだ。嫌になるくらい。もうすぐ、俺の身体の中にそれが充満したら、曲を書き始めるだろうね。たとえば、北国で、見たこともないような積雪の日。今日は誰も来ないだろう、と楽屋で思った。でも、来てくれるんだよ。彼等、家を出る時に、雪かきをして、俺のライヴが終って、家に入る時にまた雪かきするんだよ。試しにやってみたけど、並大抵じゃないんだよ。そんな中、音楽を求めて来てくれた客席に向かって、俺がやれることはただひとつじゃん。
そういう思いを積み重ねて『Land of music』を創り上げた。「on the road,again」をやらなかったら、まったく違うベクトルの音楽になってただろうと、今になっては思う。


―――特に2006年2月の初のソロツアーは真冬の北海道苫小牧から日本を南下していく行程で、雪国の移動は相当に大変だったそうですね。その映像は、『land of music "the Rising"』の中のドキュメンタリーDVD「Searching for "land of music"」で見ることができますが、ダイアリー「Days of "land of music"」でもこの時の旅日記はひとつのハイライトですね。


山口洋  かつて、俺は世界を放浪してた。背中にリュックとギターをしょって。この国に居ると息がつまりそうだったんだ。そこでいろんな事を学んだ。でも、近年は関野吉晴さんじゃないんだけど、自分が生まれた国のこと、もっと知りたいんだ。30キロ移動しただけで言葉も食べ物も違う。アメリカを一日に1600キロ移動したって、大差ないよ。日本は本当は豊かな国なんだよ。文化っちゅー意味でね。八重山諸島旭川が同じ国だとは思えないよ。先週その移動をやったんだけど、真ん中に渋谷が挟まってて、俺、ついていけなくて頭がジンジンしたもん。
雪国の移動は大変だったなぁ。古明地洋哉が居てくれなかったら、多分ロック難民になってたな。ははは。これは「Days of "land of music"」の読みどころだから、愉しみにしててくれ。