「この国には多様性があるってことを、僕は伝えたい。みんな同じなんかじゃないし、同じになる必要はないし、同じ恐怖に震えることもない」山口洋

撮影=山口洋。上から秋田道、雪の山形道、そして東北道(2008年)

―――「Life goes on」の歌詞の原型?が記された昨年9月の日記の文中に、ブルース・スプリングスティーンの「born to run」のことも短く触れられています。
対して、ライヴアルバム『Live at Cafe Milton』の6曲目は「BORN TO DIE」。直訳すると死ぬために生きる、ですよね。歌詞を読むと、別に厭世的な内容ではないのに、どうしてタイトルが「BORN TO DIE」なんだろうと前から不思議だったんですが。
山口洋 そういうタイトルの歌って、たくさんあるよね。
例えば、「born to run」、「born to be wild」、「born to loose」、エトセトラ。テーマは根底では同じだと思うんだ、とっても似たものが流れている、とは思う。
でも、この数年。大切な人間を何人か失ってみて、「born to die」っていう「ポジティヴさ」があると、僕は思った。
「死」ってネガティヴなことでも何でもないと思うんだ。とっても自然なことで、誰もが一回だけ経験する。「おぎゃー」と生まれたその瞬間から、みんな「死」に向かって生きている。たまたま、僕はそれを否応なしに、見つめなければならなかっただけのことで。決して楽ではなかったけれど、「死」を見つめた時に、見えてくる「今」がある。どういう「死生観」を持つかってことは、同時に「今」をどう生きるかってことだったんだ。それを身の回りの人間が身をもって、教えてくれたのさ。
僕らはみんな、誰かの「死」の上に生きてる。いや、生きさせてもらってる、の方が正しいのかな。野菜だって、肉だって、魚だって。僕らが口にするもの、全部さ。それを忘れたくないんだ。
「クジラやイルカは高等な脳を持っているので、殺してはいけません」みたいな事を言われると、何とも言えない気分になる。必要があって、殺したのなら、その現場もちゃんと自分の目で目撃して、感謝して、喰い尽くすのさ。自分で殺せないものは、僕は喰いたくない。
なーんて、俺は魚もさばけないから、矛盾してるんだけどね。思いきり。
話が脱線したね。
僕? 「ありがとう。愉しかったぜ」って言って、死にたいね。願わくば。「それじゃ、また会おう」って言えないところが、無宗教の人間の哀しさではあるけど。
―――そしてこの流れで「ガーディアン・エンジェル」。前回のインタビューでの明言がなくとも熱心なファンなら、このライヴが岡田マサルさんに捧げられていることを察知するでしょう。守護天使の歌。
この曲を収録したアルバム『日々なる直感』は、アイルランドとの出会いを結実させたという意味でもヒートウェイヴ30年の歴史の中でも、エポックメイキングなレコーディングだったのではないでしょうか。当時はブズーキを弾きながら歌っていたこの曲も、ソロツアーでの披露は珍しいですよね?
山口洋 ブズーキを弾かなかったのは、単純に荷物が増えるからだよ。
あの曲のレコーディングは、愉しかったなぁ。ドーナル・ラニーシャロン・シャノン、ナリグ・ケイシーにレイ・フィン。もっとたくさん居たけど。あっと言う間に、予想を超えた音が星屑みたいにヘッドフォンの中に降り注いでくる。
それは素晴らしい経験だったんだけど、同時に、僕はやっぱりバンドが好きなんだ、とも思った。
どこの馬の骨か分からん連中が、いろいろあって、長い時間をかけて、たどり着いたグルーヴ、ハーモニー、一体感、エトセトラ。この前、ストーンズの映画を観て、あのバンドにとって、ビル・ワイマンのベースがどれだけ大事なものだったのかって思ったよ。ダリル・ジョーンズにまったく問題はないんだけど、でも、僕にとってのローリング・ストーンズのベースはビル・ワイマンなんだ。あの変てこりんなグルーヴは彼にしか出せないものなんだ。
バンドにとって、一番大切なことは、「代打が居ない」ってこと。そいつの代わりは誰も出来ないってこと。そんな意味では、僕らのバンドも、ようやくその地点まで来たと思うんだ。圭一みたいなベースを弾く奴は居ない。魚みたいな音を出す奴もいない。池畑さん、言わずもがな。だから、行くのさ。
僕は幾つになっても、「今」が一番面白いバンドで居たい。それは難しいことだけど、このメンツなら可能だよ、きっと。
―――「銀の花」も非常に珍しい選曲に思います。THE BOOMが自身のツアーでカヴァーし、1999年夏には宮沢和史さんと共演した曲ですが、THE BOOMのコンサートで自分の作品が歌われたのを聴いたときの感想を教えてください。また、この曲は"on the road, again"の前身ともいえるツアー「歌の宅配便」での出来事が誕生のきっかけとなったそうですね。
山口洋 うん。THE BOOMがカヴァーしてくれたライヴ。行ったよ。嬉し恥ずかしって感じだったかなぁ。
今なら「ありがとー」って楽屋に入っていくけどね。あの頃、僕は無意味にシャイだった。ここに謝意(すまん)。
この曲はね、NHKのドキュメントで、ほぼ二ヶ月に渡って、カメラに追いかけられてた時に書いた。背後霊みたいにカメラが張り付いてるから、油断も隙もない。だから、逃げ出したんだ。寒いところに。それでも追いかけてくるんだけど。北海道に旅に出て、小樽にある、伊藤整の文学碑に行ったりして、苫小牧でコンサートをやって。そこで出会った人たちに感謝を込めて、書き上げたのがあの曲。
でも、後に北海道の連中に「山口さんは、北海道の冬の厳しさが分かってない」って言われたんだけどね(笑)。
僕は九州で生まれ育ったじゃない? 北に行くと、九州はパームツリーがたくさん生い茂ってて、冬も半袖だって、思ってる人たちがたくさんいる。かたや、九州には東京から北に行ったことがないって友人がたくさん居るんだ。ディズニーランドが最北だって。
そんな意味じゃ、東北のライヴを記録した盤なんて、ないでしょ? 多分。そこに意味があると、僕は思うんだ。東北道に乗って、東京から北を目指す。さいたまを抜けて、栃木を抜けて、福島を抜けて、宮城を抜けて、岩手を抜けて、青森にたどり着く。ゆっくりと、確実に風景と言葉が変わっていく。この国には多様性があるってことを、僕は伝えたい。みんな同じなんかじゃないし、同じになる必要はないし、同じ恐怖に震えることもない。
(インタビュー 続く)