8年前の今日、2002年7月28日は

8年前の2002年7月28日、三重県亀山市布気神社で「それ」は起こった。
以下は、「東京地獄新聞」第80号より再構成。
―――まずは、7月の亀山でのイベントですよね
山口洋 去年(2001年)、亀山「月の庭」の宅配便で出会って、「月の庭」のマサルの一連の連中と友達になってから、三重にはよく行ってた。そして、この俺のすさまじい日々は7月、亀山の布気神社でのイベント(「ONE PEOPLE CONCERT 2002 IN KAMEYAMA」)から始まったんだ。トム・ラブランクさんとやろうと思ったのは、直感だよね。いつも「直感」というと批判されるんだけど本当に直感で、これは一緒にやったら面白いんじゃないかと思った。やると決めたのはいいけど、これがまたとてつもなく大変なコンサートで。マサルのいいところは本来のイベント・プロデューサーは、来た人たちに最終的には委ねてまかせても、でもここでイベントのピークがくるだろうなということを自分の中で予想してやってると思うわけ。でもマサルは突き進む。あとはなるようにしかならんという"Let it be"状態。それはいいことなんだけど、俺はプロとしてせっかくそういうイベントをやるんだったら、PAもちゃんとしなきゃ音楽は伝わらないと思う。かっこよく言うと、『ラストワルツ』で言うと、俺が音楽監督ロビー・ロバートソンの役をやらなくちゃいけなくなった。俺はやるんだったら絶対やりとおすという性格だから、堀田(マネージャー兼コンサート制作)を拝みたおし、PAエンジニアを拝みたおし、亀山に行った。コンサートは素晴らしかった。この夏、俺がSFUとして出たフェスよりもグンバツに良かった。これが祭りだろうって!
―――会場は神社の境内。ポエトリー・リーディングのトムさんと、ギターの山口さん、キーボードの細海魚さん。どういうライヴだったんですか?
山口洋 テーマだけは聞くんだよ、最初に。「次はイーグルについての詩を朗読したい」って言えば、俺が魚ちゃんに「鷲だ!」って伝えるわけ。一応音楽のキーだけは決めなくちゃいけないから、魚ちゃんが「じゃあヤマちゃん、Eのキーで」って言うわけ。トムはそんなやりとりは当然わからない。客は待ってるわけだし。俺が「イーグル」の出だしをグワーっと作るわけ。そうすると魚もギュワーっと入ってくるでしょ。そんでトムにエネルギーをグワーっと送ってると、トムが「今か?」って顔をするから「どうぞ」って言うと、そこでトムの朗読が入ってくる。トムが更にエネルギーを出したら、それをまた俺たちが受け取って、今こういうことをやりたいんだっていう景色をぐわーっと描いていく。だから曲じゃないんだよ。その場限りのもの。そういう音楽に慣れてない人は、絶対に理解できないよ。なんかイントロがあったり、ここからドラムが入ってきて…って、そういうものじゃない。
トムと俺と魚ちゃんはほとんど喋ってなくて、相手が出すエネルギーをその場で読んで、音楽をやるしかなかった。皮膚で感じるこの人の凄みというのを感じてた。アンコールのときに、酔っぱらったヒッピーみたいなおっさんがトムに「SO FUCKING WHAT!」って言ったんだ。そのときパッとトムの方を見たら「『SONG OF REVOLUTION』やるぞ」って俺に言うから、そんな曲知らねえよと思うんだけど、でもそのときに何かピクッときたものがあった。エネルギーを俺がトムから受け取った。REVOLUTIONをおこしてやろうじゃないかと俺がギターをぐわーっと弾いたらトムの顔が紅潮してすごいことになってた。後ろから見たら細海魚が首を傾けながら普通の顔をして、ガーってすごい音出してた。そのときに、これはすごいことになってると思ったんだ。客にはわからないだろうけど、でもミュージシャンの俺のレベルで言うとすさまじいエネルギーの交換があった。
この共演がきっかけで、山口洋と細海魚、ネイティヴ・アメリカンの詩人でありアクティヴィストのトム・ラブランク、そして岡田マサルさんは9月に東京でたった3日間のレコーディングに入りました。レコード会社未定のまま! このレコーディングのエピソードはまた後日。