『EPIC YEARS 1990 - 1995』デザイン完了

theRising2010-07-29

ボックスセット『EPIC YEARS 1990 - 1995』のパッケージや、ブックレットのデザインが完成し、チェックが完了しました。
「THE LOGBOOK」と名付けられた80ページのブックレットのメイン企画は、山口洋インタビュー。これは5枚のアルバムがリリースされた当時のインタビュー記事を探して再録するのではなく、2010年6月に、5時間以上をかけて行なったロングインタビューです。ブックレットを編集するにあたって考えていたのは、過去を振り返るだけではなく、過去のできごとから今に繋がる、未来へと続く新たな意味を見つけること。〈新しい行為によって、経験の文脈が変われば経験の解釈も自ずと変わってくる。あとになって、すでに経験したことの意味が「ああ、あれはこういうことだったのか」と解釈が一変することなんてしょっちゅうじゃないですか。過去は可変的であり、未来は未知である。〉(内田樹)というのが、基本的な姿勢です。
果たしてインタビューでは「実は当時はこの歌が大きすぎてピンと来てなかったんだ。後になって自分が書いた歌に自分が追いついた感じ」なんて言葉も出てきました。さてそれはどの曲でしょう。そして、そういう意味で、山口洋も制作スタッフもみんな驚いたのが、1995年3月20日藤代冥砂さんによって撮影された写真。これは初公開のはず。「EPIC YEARS」の写真も(その前の福岡時代も)ピックアップしていますが、2010年の山口洋も6月に撮影しています。2010年のインタビューには2010年の写真も必要だからです。たぶん来週からもろもろ印刷に入ります。(「THE LOGBOOK」編集=杉山敦)

8年前の今日、2002年7月28日は

8年前の2002年7月28日、三重県亀山市布気神社で「それ」は起こった。
以下は、「東京地獄新聞」第80号より再構成。
―――まずは、7月の亀山でのイベントですよね
山口洋 去年(2001年)、亀山「月の庭」の宅配便で出会って、「月の庭」のマサルの一連の連中と友達になってから、三重にはよく行ってた。そして、この俺のすさまじい日々は7月、亀山の布気神社でのイベント(「ONE PEOPLE CONCERT 2002 IN KAMEYAMA」)から始まったんだ。トム・ラブランクさんとやろうと思ったのは、直感だよね。いつも「直感」というと批判されるんだけど本当に直感で、これは一緒にやったら面白いんじゃないかと思った。やると決めたのはいいけど、これがまたとてつもなく大変なコンサートで。マサルのいいところは本来のイベント・プロデューサーは、来た人たちに最終的には委ねてまかせても、でもここでイベントのピークがくるだろうなということを自分の中で予想してやってると思うわけ。でもマサルは突き進む。あとはなるようにしかならんという"Let it be"状態。それはいいことなんだけど、俺はプロとしてせっかくそういうイベントをやるんだったら、PAもちゃんとしなきゃ音楽は伝わらないと思う。かっこよく言うと、『ラストワルツ』で言うと、俺が音楽監督ロビー・ロバートソンの役をやらなくちゃいけなくなった。俺はやるんだったら絶対やりとおすという性格だから、堀田(マネージャー兼コンサート制作)を拝みたおし、PAエンジニアを拝みたおし、亀山に行った。コンサートは素晴らしかった。この夏、俺がSFUとして出たフェスよりもグンバツに良かった。これが祭りだろうって!
―――会場は神社の境内。ポエトリー・リーディングのトムさんと、ギターの山口さん、キーボードの細海魚さん。どういうライヴだったんですか?
山口洋 テーマだけは聞くんだよ、最初に。「次はイーグルについての詩を朗読したい」って言えば、俺が魚ちゃんに「鷲だ!」って伝えるわけ。一応音楽のキーだけは決めなくちゃいけないから、魚ちゃんが「じゃあヤマちゃん、Eのキーで」って言うわけ。トムはそんなやりとりは当然わからない。客は待ってるわけだし。俺が「イーグル」の出だしをグワーっと作るわけ。そうすると魚もギュワーっと入ってくるでしょ。そんでトムにエネルギーをグワーっと送ってると、トムが「今か?」って顔をするから「どうぞ」って言うと、そこでトムの朗読が入ってくる。トムが更にエネルギーを出したら、それをまた俺たちが受け取って、今こういうことをやりたいんだっていう景色をぐわーっと描いていく。だから曲じゃないんだよ。その場限りのもの。そういう音楽に慣れてない人は、絶対に理解できないよ。なんかイントロがあったり、ここからドラムが入ってきて…って、そういうものじゃない。
トムと俺と魚ちゃんはほとんど喋ってなくて、相手が出すエネルギーをその場で読んで、音楽をやるしかなかった。皮膚で感じるこの人の凄みというのを感じてた。アンコールのときに、酔っぱらったヒッピーみたいなおっさんがトムに「SO FUCKING WHAT!」って言ったんだ。そのときパッとトムの方を見たら「『SONG OF REVOLUTION』やるぞ」って俺に言うから、そんな曲知らねえよと思うんだけど、でもそのときに何かピクッときたものがあった。エネルギーを俺がトムから受け取った。REVOLUTIONをおこしてやろうじゃないかと俺がギターをぐわーっと弾いたらトムの顔が紅潮してすごいことになってた。後ろから見たら細海魚が首を傾けながら普通の顔をして、ガーってすごい音出してた。そのときに、これはすごいことになってると思ったんだ。客にはわからないだろうけど、でもミュージシャンの俺のレベルで言うとすさまじいエネルギーの交換があった。
この共演がきっかけで、山口洋と細海魚、ネイティヴ・アメリカンの詩人でありアクティヴィストのトム・ラブランク、そして岡田マサルさんは9月に東京でたった3日間のレコーディングに入りました。レコード会社未定のまま! このレコーディングのエピソードはまた後日。

『EPIC YEARS 1990 - 1995』のグラフィックデザインは駿東宏

theRising2010-07-27

ボックスセット『EPIC YEARS 1990 - 1995』のパッケージや、このボックスセットのために作られた80ページのブックレット(「THE LOGBOOK」)のデザインを手がけたのは、グラフィックデザイナーの駿東宏さん。
ヒートウェイヴではこれまでアルバム『1995』、『TOKYO CITY MAN』、『月に吠える』、シングル『BOHEMIAN BLUE』などをデザインしています。
今回のボックスセット制作の発火点となったのは、駿東さんディレクション、写真家・藤代冥砂さんによって15年前に撮影された一枚の写真。その写真も今回のブックレットに掲載しています。
山口洋とさまざまな逸話がある駿東さんですが、今回は2002年、トム・ラブランク、山口洋、細海魚によるアルバム『EAGLE TALK』に関するエピソード。「東京地獄新聞」第80号より抜粋。
―――アルバムタイトルの『EAGLE TALK』にはどういう意味があるのですか?
山口洋 レコーディングが終わった後にいろいろ迷うことがあるだろうと思ってたから、トムにひと言だけ言い残してほしいとリクエストした。迷った時には北極星を見ればこっちが北だなってわかるような言葉をこのプロジェクトのために残してくれって頼んだら、トムは「SAME SPIRIT」って言い残した。で、俺、何の疑いもなくアルバムタイトルも「SAME SPIRIT」だと思ってた。
そしたらデザインを引き受けてくれた偉大なるスントーヒロシが、音源を聴いた後に「山口さん、これはね、SAME SPIRITじゃない。『EAGLE TALK』ですよ」って言ったの。3人の魂が鷲みたいに飛びながら、いろんなものを見ていくというような光景が、自分には見えるんです。アルバムタイトルも『EAGLE TALK』にした方がいい!って、彼が。
彼、デザイナーだよ。だけど彼はそういうことを俺に言ってくれるから、俺は彼を尊敬してるわけ。それを聞いて「なるほど!」って。雷が落ちたように衝撃があった。「スントーさん、ありがとう! 俺もそう思うよ」って言って。トムが言った言葉をひっくり返すわけだから面倒くさいんだけど、それは(岡田)マサルにまかせた。俺はもう『EAGLE TALK』だ、プロデューサーの俺が決めたと。だからマサルに、トムを説得しろって言ったら、トムもいいよってアメリカから電話かかってきて。で、『EAGLE TALK』になった。
これでなんかゆがんでた背骨がピシッときた感じがあったんだよね。そしたらこのジャケットができ、ビデオクリップができ。スントーさんなんて頼んでもいないのに「EAGLE TALKのポスター作ったんすよ」とか(笑)。なんかすごいうれしいよ。金とかじゃないんだよね。みんなに利益がいけば俺はうれしいよ。うれしいけど、みんながこうやってウワーッてやるぞって、『EAGLE TALK』に向けて、みんな鳥になろうとしてるっていう……。長谷川博一さんが書いたコピーとか、「言葉は空を飛んだのか?」というコピーなんだけど、受け取った人の気持ちの中でいろんなふうに飛んでくれれば、本当にうれしいから。この厳しい世の中を生き抜いて行く方法みたいなことは、ここには全然書いてないけど、でもそういう世の中だからこういうことだってあるじゃん、みたいな。こうやってわかり合えることもあるし、わかり合えないこともある。そんなドキュメントとしては俺が過去に作ったアルバムの中でもいちばんそれがストレートに出てると思う。

7月30日は白石市ホワイトキューブ音楽祭

昨年は4月18日、19日に宮城県白石市でCafe Milton15周年として開催された音楽祭が、今年は「白石ホワイトキューブ音楽祭2010 “キューブで夏フェス”」と題され、今週金曜に開催されます。昼、夜の二部構成(山口洋は夜の部に出演)。
片倉小十郎の城下町”白石”の地で生まれる新たな出会いとコラボレーション! 2010年夏!ホワイトキューブで行なう新しい”音楽の夏祭り”の誕生です。素晴らしい夏の一日になることをお約束いたします。
(カフェミルトン 三浦敦子

白石ホワイトキューブ音楽祭2010 “キューブで夏フェス”
7月30日(金) 白石・ホワイトキューブ (白石市文化体育活動センター)
昼の部 (開場12時/開演12時30分)
出演=神野美伽 with アントニオ古賀
オープニングアクト=佐藤幸江/こおり健太
夜の部 (開場17時30分/開演18時30分)
出演=坂本サトル山口洋リクオ with 橋本歩/阿部美緒/桑山哲也/神野美伽 with アントニオ古賀
チケット料金=昼夜とも各4,500円/当日5,000円(全席指定/税込)
問=ホワイトキューブ (Tel_0224-22-1290)
山口洋と、白石市にあるカフェミルトンとの深い関係は以下のインタビューでチェックしてください。
第31回 land of vegetable panの森(函館)×カフェミルトン(白石)×山口洋 インタビュー
「音楽が金にしか見えない人間たちを繋いでいこうとはツユ思わないけど、魂入れて、モノ作ってる人間を旅ガラスが『繋ぐ』のはそりゃ『役目』だろうと思う」
第33回 山口洋×カフェミルトン インタビュー 「milton again 2days」決定!
「いつの頃からか音楽は空気のようなものであり、生活に必要不可欠なものになっていました。それで生涯、音楽を道づれに暮らせたらどんなに幸せだろうかと常々考えておりまして、その答えが1995年、店という形になったわけであります」
第37回 山口洋インタビュー Milton again 歌いたくなったから
「音楽の奇蹟は『正しい時に』、『正しい場所』で起こるもんなんだよ。それは偶然じゃなくて、必然なんだ」
第38回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #1
「カフェ・ミルトンのある白石はね、蔵王の隣町なんだ。熱心なファンなら知ってると思うけど、蔵王の廃校になった小学校で、僕らは昔レコーディングをしてた。あのエリアには何かがあるんだよ。僕の心を打つものが」
  第39回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #2
「ミルトンは貨車で出来てる。貨車は音楽の響きのために作られてはいない。おまけに建物自体もシンメトリックな作りではない。そこにパツンパツンにお客さんが入ってる。しじゅう、薪ストーブがパチパチ音を立ててる。でも、だよ。いい音ってものに具体的な基準はないんだ」
  第40回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #3
「特設サイトでレビューを書いてくれた長谷川さんが『このライヴ盤には温かさがある』みたいな事を書いてくれたんだけど、実のところ僕にはあまりその感覚はない。ある種の緊張感というか、キリリとした空気というか、それがこの時代に向き合うのには必要なんじゃないかって思ってる」
  第41回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #4
「実際、このアルバムはマサルに捧げられてる」
  第42回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #5
「この国には多様性があるってことを、僕は伝えたい。みんな同じなんかじゃないし、同じになる必要はないし、同じ恐怖に震えることもない」
第43回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #6
「な、訳で、明日のスターパインズ・カフェでは皆さんに手に取ってもらうことができます。めでたい日なので、シリアルナンバーも書きます」
第44回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #7
「聞こえてたよ。本当にたっくさんのオーディエンスが来てくれて、嬉しかった」
第45回 山口洋『Live at Cafe Milton』インタビュー #8
オンラインショップでの発売開始前夜!

2000年のインタビュー&写真集『HEATWAVE 1999-2000』

ヒートウェイヴの作品を取り扱うオンラインショッピングサイト「Artist-Direct Shop 405」で、2000年に出版したインタビュー&写真集『HEATWAVE 1999-2000』が、まだ売れ残ってる!
  270ミリ×210ミリ×104ページ(その半分がカラー写真)にとんでもない量の情熱と愛情を注ぎ込んだ入魂のヒートウェイヴ本。総文字数は17万8842字。当時、この本のために作った特設サイトもいつの間にか消えてしまったので、この欄で少しだけ紹介します。
  本の内容は、1999〜2000年に「東京地獄新聞」で行なったインタビュー・対談からこの本のために厳選した11本を再編集。さらにホームページに発表されたレコーディング・ダイアリー、30世紀(!)のヒートウェイヴを語りおろした山口洋最新インタビューなどを収録。一方ビジュアルは、1999年・2000年夏祭り、信州大学・伊那宅配便SPECIAL、Live the "LIFE WORK"、リアム・オ・メンリィ、アンディ・ホワイトとの共演など、ヒートウェイヴのこの2年間を追い続けたライヴ写真を満載。巻頭では、数多くの曲を生み出し、その数倍の曲をミックスした山口洋の自宅兼スタジオで撮影しました。
「東京地獄新聞」第70号(2001年2月発行)では、この『HEATWAVE 1999-2000』(通称「地獄本」)完成を記念して、表紙となった長野県伊那・「歌の宅配便」での撮影を始め、ヒートウェイヴの写真を撮り続けてきた写真家・関口美意氏と、編集部による、制作裏話的座談会を行なっていますので、そこから約1/3を抜粋します。
杉山(編集長) 関口さんは、99年の「夏祭り」で初めてヒートウェイヴを観たわけですよね。その時の感想は?
関口 名前だけ知ってて全然期待しないで行ったんですけど。でもすごくカッコ良くて、肌が合ったんでしょうね。全然知らなかったけど、こんな近くにこんないいカッコいい音を出すバンドがいるんだと。ファンになったというよりも近づいてみたい、そういうふうに思いましたね。
杉山 初めてヒートウェイヴの写真を撮った時はいつでしたっけ?
関口 リアムさんが来日した時の「極東地獄ラジオ」での撮影でした。お昼ご飯が喉を通らないぐらい緊張してたんですけど(笑)。「この前、初めてライヴを観たけどすごく良かったです」って言ったら、山口さんは「ああ、あれは弟のライヴ」とか言ってて、初めは本気にしてたんです。緊張してるからうまく受け答えができなくて。「あ、そうなんですか!?」って(笑)。だってライヴの時って、すごく混んでてよく見えなくて、音しか聴いてなかったから。でもあとで山口さんが話してる内容を聞いて、「あ、やっぱりこの人だ、騙された」って思いました(笑)。それがいちばん最初の撮影ですね。
杉山 ライヴを初めて撮ったのは?
関口 山口さんが、リアムさんのゲストで出たライヴをちょこっと撮って。ヒートウェイヴのライヴは、ON AIR EAST(99年12月「燃えるあひるツアー」)でしたね。
杉山 今まで印象に残ってるライヴは?
関口 もう何と言っても伊那の宅配便(『HEATWAVE 1999-2000』の表紙に掲載)ですね。最後に泣いたというエピソードも含めて。結果的に写真が失敗したということもあって、実は泣きのライヴだったんです(笑)。
杉山 そんなことないですよ!
関口 いや、だって失敗してるんですよ。かろうじて1枚……これだけは撮れてたらいいなぁという1枚が撮れてて、それだけがよかったんですけど。他のが全滅に近くて(笑)。
杉山 表紙の写真のように、ステージの上から撮影するなんてことは、普通のライヴではないでしょ?
関口 あの時は、トラックの荷台とビールケースでステージが作ってあったんですよね。野外だったから、横からでもどこからでも撮れる。みんな好きなことやって、物を食べながらとか踊りながらとか。すごく雰囲気が自由だったから、撮れる場所もたくさんあるなと思いつつ。とにかく観客と山口さんが、ほんとに喋ってるわけじゃないんですけど、対話をしながら、やりとりをしながら演奏している、その度合いがいつもより全然高くて。山口さんも写したいけど、観客を写したい、みんなを写したいなぁというような気分になって。
写真を撮ってる時って、そのライヴに参加しているよりも、みんなよりは参加してないような感じなんですよ、自分としては。私は写真を撮る時、対象に入り込むのと同時に一歩離れる作業が必要なんです。でもあの時は中にすごく入りたくて、それでたぶんひとりでステージに昇っちゃったと思うんですよ。私もその対話に参加したいな、もうちょっといつもより中に入りたいなという気持ちで。それで昇ったらちょうど陽が射してきて……。
杉山 表紙の写真は、雨が上がるようにグレッチを天に奉納するかのように弾き出した時の写真で、その直後に光が射したんだよね。
関口 雨が降っていて、屋根(テント)をつけるかつけないかという話で結局つけなかったじゃないですか。それでその後、少し晴れ間が出てきたからというので、祈りの意味を込めて、山口さんがステージ後ろを向いた瞬間にパーッて陽が射してきて。みんなで祈りを捧げてるみたいな状態で。
あの日は本当に祭りっていう雰囲気だったじゃないですか。だから光が射したのが当たり前っていうか。全然当たり前じゃないんですけど、本当に願いが届いたなぁみたいな。後から考えると、なんであんなふうになったんだろう、あのライヴは…という、そういう祭りの状態で。みんなのテンションがハレの部分に入っているというか、すごく特別なライヴだったですね。

ROCK’N ROLL GYPSIES、5年ぶりの新作発表

7月28日に、池畑潤二さんのバンド、ROCK'N ROLL GYPSIESのニューアルバムが発売になるということで、池畑さん特集。
2002年3月に初めて実現した、池畑潤二山口洋、渡辺圭一、細海魚によるライヴの感想は先日のエントリーに記していますが、ラジオでの共演の記録も残っています。
山口洋の「極東地獄ラジオ」に2003年7月、池畑潤二さんがゲスト出演した際のスタジオレポートをこちらで読むことができます。トークの一部も聴くことができます。
池畑さんは、2004年1月の「極東地獄ラジオ」、アルバム『LONG WAY FOR NOTHING』特集にも出演。山口洋とこんなトークを繰り広げています(これも聴くことができます)。
以下は、山口洋『東京地獄新聞』第87号(2004年2月発行)で語った池畑潤二エピソード。
〈俺、自分で言うのも何だけど、運動神経にはかなり自信があってさ、スポーツで人に負けるの大っ嫌いでさ、で、池畑さんといろいろスポーツしたけど、ことごとく太刀打ちできなくて。たとえば俺、香椎小学校っていう小学校の縄跳びチャンピオンだったのね。縄跳び選手権みたいなのがあって。たまたまスタジオ(※『LONG WAY FOR NOTHING』レコーディング時)で俺、縄跳び持っててさ。普通、縄跳び何年ぶりにやるっていったらさ、前から跳ぶじゃん。(池畑)兄貴は最初に、久しぶりに縄持ってやったのが「後ろムササビ」だったの(笑)。そんで後ろムササビやった挙げ句に縄、破損。あり得ない。勝てねえな…と思って。〉

アートディレクター渡辺圭一(ヤポネシアン編)


映像作家編に続き、今回はアートディレクターとしての渡辺圭一編。しかも『LONG WAY FOR NOTHING』や『land of music』といったヒートウェイヴのアルバムではなく、2002年、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションのアルバム『[アザディ]!?』について。
この、当時も聞き慣れないアルバムタイトルは、アフガニスタンで使われるパシュトゥン語で「自由」という意味。メンバーは、ヒートウェイヴ山口洋、渡辺圭一、ソウル・フラワー・ユニオン中川敬KOKIです。
撮影は、浅草ロック座。アートディレクションを務めた渡辺圭一は、「なんか、はじめにロック座!っていうイメージがあったんだよね。浅草は、渋谷みたいな若者の暑苦しいエネルギーじゃなくて、庶民のエネルギーを感じるのよ。例えれば、チャイナタウンみたいな。もし、世界にリトルトウキョウができるとしたら、渋谷や新宿じゃなくて、浅草みたいな街になると思うよ」と、浅草にロケーションを決めた理由を語っていました。
以下は、「東京地獄新聞」第77号(2002年5月発行)のインタビューより抜粋。
―――今回、ジャケットのアートワークを圭一さんが担当されているんですよね。浅草で撮影しようというのも、圭一さんのアイデアなんですか?
中川敬 圭一と、冗談でね、風俗ありちゃう?みたいな話をしててね。で、ストリップ小屋っていう話が出てきて。オレの中では半分ギャグみたいなとこもあってんけど、ヤツがいきなり検索し始めててね。東京じゅうのストリップ小屋と連絡を取り始めて。すごい行動力やったよ。ホントにストリップが観たいんやと思った(笑)。おねーちゃんとホントに仲良くなりたいんやなって、その気持ちの熱さみたいなんがね、すごい伝わった(笑)。
山口洋 夢野まりあちゃんの巨大なおっぱいが、オレの肩に乗って、ドキドキしとうとき、圭一がそのストリップ嬢に向かって、「もう一枚、脱いでみましょうか」って。すんごいよ、アイツ。アートディレクターとして、たいしたもんだと思って。マジで。
中川敬 「下もさぁ、ちょっと取ろうかぁ」みたいな(笑)。
山口洋 オレに言ってたのはね、「ヒートウェイヴでも、ソウル・フラワーでもないものをどうしても創りたいんだ」って。それは、すごいよくわかる。オレは「好きにすれば」って言うだけ。細かいことはゲイリー(中川)と圭一が決めればいいんだからさ。こんなにタッチしなくていいアルバム創りは、むちゃ楽だよ(笑)。
中川敬 キミはフィニッシュに興味ないしね。
山口洋 無い無い無い、全然無い。過程に興味があるだけ。
―――で、ジャケット、カッコイイですね。これは、タイトルもリンクする?
中川敬 リンクっていうんかなぁ。こんときいっぱい写真撮ってんねん。で、アザディ? 自由ってなんやねん?とかって。それと、このアルバムが持ってるアナーキーさとか、そういうものを一番表現しているのがね、オレら4人の写真じゃなかってん。いまいちパッとせえへん寝ぼけた顔の野郎4人の写真じゃなくて、まりあちゃんひとりの写真が、一番パワーを持ってたっていうね。ファースト・インスピレーションでそう思ったから。いやでも、ホントね、おんなじ商売やな、って思ったよ、オレらと。ステージ立つって意味でも、同じ商売。すごいサービス精神旺盛で。自分が自分が、っていうんじゃない、場の空気っていうか。見事やったよ。すごいエエ娘やったしね。
―――この日、ストリップは観られたんですか?
山口洋 まりあちゃん、トリだったから観られなかった。
中川敬 他の娘のを観た。選曲とか凄かったね。トム・ウェイツとか、ケイト・ブッシュとかね。みんな自分で選んでんねんなぁ、みたいな。